2017年7月15日土曜日

ウィークリー・ダイアリー(その14)

「ウィークリー・ダイアリー(その14):7月中旬」

今回の当コーナーは梅雨本番の中盤の時節ですが、空梅雨の晴天が続いています。
このまま降雨不足のまま、梅雨明けとでもなるのでしょうか?少々気がかりです。

では早速
「学童クラブ便り」
と参りましょう。

「自主参加型・学童美術教室」

今週の動きとしては、
キッズ・クラスのない曜日に、筆者1階アトリエにて自然発生的・絵画教室が始まりました。

前回のこのコーナーで紹介した小2二人が、先週に引き続き1階アトリエにも訪れ描画を開始。
それまでの1年半、学童美術教室に全然参加していなかった二人だけに珍事件と言えるかも。

Senちゃんとその作品「木登りネコちゃん」

Sanちゃんとその作品「メジロ」

前回のチョー久々描画の「シマリスちゃん」同様の無作為の可愛らしさが秀逸です。
これで味を占めて開眼、描画好きになってくれると、筆者としても嬉しい限りです。


「新入1年生たちも新規参入」

上記・小2二人の作品と話を聞きつけた新入1年生のNgちゃん、筆者1階アトリエを訪ね、描画を始めました。

Ngちゃんと、先週に小2女子二人が描いた「シマリスちゃん」。上手です。

そのNgちゃんの作品と話しを聞きつけた他の新入り1年生二人も、Ngちゃんと共に翌日から参入。
小2女子二人から始まった自主発生的・美術教室が、どうやら1年生たちにも飛び火したようなのです。

仲良く並んで描画に集中する新入1年生3名。

Ngちゃん、シマリスちゃんの次には、「ハムスター君」を描きました。

初参加のYrちゃんは「ネコちゃん3匹3種」を描きました。
真ん中のSiちゃんは描画開始早々に帰宅時間(送り)となってしまい、中座。その後に乞うご期待。

2点目を描き上げたNgちゃん、今度は別のお友達(Knちゃん)と連れだってやって来ました。
と言うことで、本日も早速の描画開始。


初参加のKnちゃんとその作品「花々」。白い画用紙上の形体と色彩の対比が美しいですね。

Ngちゃんの3点目作品「木登りネコちゃん」。表情がユーモラスで可愛いですね。

前日の花の描画で味を占めたKnちゃん、帰所早々にNgちゃんと共にやって来ました。
本日もまた早速の描画開始。筆者、煽られっぱなしです。

Knちゃんと2作目作品の「花々-2」。今作も楚々として美しいですね。

Ngちゃんの4作目「緑に囲まれたワンちゃん」。やっぱり可愛い表情と味のある筆触が良いですね。


「その後、3~4年生も参加」

上述の1~2年生たちの作品とその話しを聞きつけた3~4年生の中からも描画開始組が現れました。

久々描画のRrちゃん(小4、おてんば組のドラムス担当)、マグロを見事に活き活き描写。

こちらも描きかけデッサン久々再開のJnちゃん(小3)。

諦めずに再開した金魚のデッサン、こちらもまた動きも感じられる活き活きとした描写になりました。
ソフトなタッチの鉛筆の調子が小気味良いですね。おめでとう。


火曜日・木曜日はアトリエ・キッズたちの授業が1階アトリエにて行われるため、上述の小2二人も新作描画が進まず、欲求不満に。
今までとは違う彼女らのやる気を冷めさせるわけにはいかず、来週も時間の許す限り、1階アトリエを開放したいと思っています。

新入1年生たちもまた然りで、そのやる気を後押ししたく考えているので、来週も1階アトリエは盛況になるかも知れません。
「乞う ご期待」

描画中断のSnちゃん。  2作目開始のYrちゃん。   初登場のYiちゃん。

来週もがんばってね。

* * *

水彩画作品完成のご褒美にと、各種の楽器演奏をせがまれました。
筆者に断る理由はありません。早速色々と楽しんでもらいました。
美術も音楽も表現することに於いて、共通する点は多いものです。
両者が子どもらの体や心の中で、互いに刺激になることでしょう。



みんなの器用さ・機転の良さ・情熱に感心させられた指導者冥利に尽きる1週間となりました。
(*^-^*)

* * *

「学童バンド便り」

「おてんば組」、今月末に開催予定の「新入生歓迎会」に向け、その練習を本格化させました。

演奏する曲目の仕上げに余念のない面々。久々の熱さが蘇っていました。

左:新曲の歌の練習も本格化。          右:本番を想定しての陣形も。

「おてんば組(筆者のみの仮称)」の彼女たち、日々のバンドの基礎練習よりも数段テンションが上です。
彼女たち、自己表現に関しては貪欲で、チョー張り切っています。
テスト前の一夜漬け勉強、若き頃の筆者も身に覚えがありますが、
でもほんとは日々の地味で単純な反復練習の方が大切なんですよ。
「ローマは1日にして成らず」「ちりも積もれば山となる」です。

「門を更に叩くも良し」また「去るも忘るるも良し」
「全ては神の思し召し」。筆者は機会を与うるのみ。

(もう一方のバンド「チホチホ組(これまた筆者のみ仮称)」は今週メンバー揃わず、練習なしでした。残念。)

「 頑張って。」
(*^-^*)

By T講師

2017年7月10日月曜日

空梅雨時の雨情緒・特集

月曜日・晴れ・全国的な真夏・猛暑日

ここ数日は「空(から)梅雨」気味の夏空が続いていますが、「無い物ねだり」のように雨が恋しくなってきます。
( 九州北部を襲った大雨・水害に見舞われた人々には、お悔み申し上げます。)



「名作美術館(その218)」
「雨情緒(その2):都会の夜雨」

( 観光バスの一番前に座って、車窓よりの光景を見ているような錯覚に襲われてしまいます。)


作者:ジェレミー・マン(米国)
Jeremy Mann ( American Impressionist Painter ), 1979


都会にそぼ降る雨・・・、「絵」になります。
実際は歩行の場合は傘で視界が狭まったり、雫に衣服を濡らしたり、水溜りに靴を濡らしたり、なかなか大変です。
増してや車を走らせていた場合はなおさらの事、様々な緊張・危険が伴い、いっときも気を緩める時がありません。
でも何らかの嬉しい出来事、例えば旅行で訪れた初めての街などに足を踏み入れる場合、雨の負の要素は一転します。
その目的地がお洒落なレストランやバーだったりすると、雨は殊更にロマンチックな雰囲気を加味したりするのです。
雨にけぶる街灯と、濡れた路面に映り滲むその幾重もの反射。唇や手の甲に軽快に当たる雨粒も水晶に思えてきたり。
または逢瀬も浅い恋人連れだったり、または久しく会えなかった恋人との再会に街を歩く時、雨はその輝きを増します。

そんな現代社会の都会生活らしい「絵」がないものかとネットを検索したら、上に登場の「絵」たちに出合いました。
大気の中の水粒子で拡散された照明と、光る路上で反射する滲み光彩が美しく、夜陰を魅力的に見せてくれています。
それは筆者が忘れて久しい感覚であり、最近では映画に登場する1シーンに遠き日の記憶を投影させる心象風景です。

「街遊び」を覚え始めた筆者中学生の頃、雨に濡れて光る路面や、連なり過ぎ去る車のタイヤ・ノイズが好きでした。
仄暗い喫茶店なるものに、初めて足を運んだのもその頃のことで、大人の世界に足を踏み入れることでもありました。
そこにはミステリアスな淀んだ空気が堆積していて、店を出たらいつしか「夜の雨」と言うこともしばしばでした。

「街にそぼ降る夜の雨」、今では時折 駅前の雑踏を車で通りすぎるだけです。
ワイパー越しの街頭に傘がカラフルに咲き乱れて、人々が足早に通り過ぎて。
信号の青緑が綺麗でつい見とれてしまい、後続車クラクションで促されたり。
歩道に歩き、雨情緒を全身で堪能していた筆者はもう半世紀も前のこと・・・。
傘も持たず差さず、多少の濡れっぱは当時はごく当たり前でした。
「光陰矢の如く」水滴泡沫の一粒の筆者もまた押し流され・・・

* * *

「ミュージック・ギャラリー(その240):雨の季節(その3)」

ご覧の通りの「雨」繋がりの3回目の当コーナー、懐かしの曲の登場です。
前述のコーナーでも少々触れましたが、筆者若き中学生の頃の懐かしのヒット曲を取り上げました。
中学生になって、筆者のレコード行脚が始まった頃の話しです。
当然ながら、その頃の筆者らが手に出来たのは主にシングル盤。
学生カバンの中の体育着の隙間に忍ばせた(チェック逃れ兼クッション)それらは未知の世界を届けてくれました。
クラスを超えた男女友人たちの間で頻繁に貸し借り往来が始まり、聴ける世界が急速に拡大、大いに感激しました。
筆者の通っていた中学、50~55名クラスで何と17組もあり、大量のレコードが仲間内で飛び交っていました。
貸したレコードに歌詞カードやビニール袋が付いてこなかったり、盤が汗だらけだったり、盤が別曲だったり、
またはその逆に、歌詞カードの四辺を丁寧にテープ止めされていたりで、所有者の好みと性格が現れていました。
そんなシングル・レコード貸し借り時代の真っ盛りに、この軽快センチな曲にも出会いました。
今でもギター抱えて時々歌うこの曲、その頃の年取らぬ友人たちの顔姿が脳裏にて出現します。

「リズム・オブ・ザ・レイン(邦題:悲しき雨音)」、ザ・カスケーズ
" Rhythm of the Rain " / The Cascades (1962)

イントロのビブラフォン(鉄琴)の調べが雨粒を連想させ、間奏の素朴なオルガンは失恋の空虚な心を反映しているかのようです。
アウトロ部で登場するピタパタピタパタは雨垂れの擬音で、我が国だとシトシト・ピチヤピチヤとでもなるのではないでしょうか。


カバー曲大好きな筆者、名曲のこんなお洒落なアレンジにも出会いました。
今日の特集の絵画のBGMにもしっかりハマりそうな都会的雰囲気が秀逸です。
カスケーズのヒットから実に28年後、AORの代表的シンガーの看板通りのアダルトな歌唱が堪りません。

「リズム・オブ・ザ・レイン」、ダン・フォーゲルバーグ
" Rhythm of the Rain (cover)" / Dan Fogelberg (1990)




こちら以前にも当コーナーで紹介済みですが、満を持しての再度の登場です。
カーペンターズ盤が大ヒットしましたが、シンガー・ソングライターのポール・ウィリアムスの紡いだ楽曲(詞)です。
このコーナーでも、以前アート・ガーファンクル盤「トラベリング・ボーイ」の際に渋い原曲にて登場しました。
レコードで大音量で聴くと、カレンの芳醇な低音や彼らのコーラスやアレンジが絶品で、鳥肌立ってしまいます。
ロック狂いの危機溢れる高校時代に出会ったカレンの端正な歌声、筆者には最良・最高の清涼・解毒剤でした。

「雨の日と月曜日は」、ザ・カーペンターズ
" Rainy days and Mondays (cover) " / The Carpenters (1971)
(後日追記:動画、訳詞付きに替えました。)



こちらは若かりしカーペンターズが度々登場した冠TV番組を持って司会を務めたベテラン女優・コメディアンのバージョンです。
彼らとも親交があり、そんな縁でこの曲を歌ったのかも知れません。鼻にかかった歌唱が、歌姫バーブラ・ストライザンド似です。
しっとりとしたアダルト感覚と、時々出る「喋り」のようなブルージー・フレ―ジングが、筆者には快感です。

「雨の日と月曜日は」、キャロル・バーネット
" Rainy days and Mondays (cover) " / Carol Burnett (1972)




時代を超越する名曲、いつ聴いても良いものですね。
でも「雨」はメランコリックな雰囲気だけではありません。
筆者幼き頃の親子ラジオで聴いた「雨に唄えば」を筆頭に、アメリカ音楽ならではの明るさは特筆すべき羨ましさです。
そんな国民気質がごく自然に綴る、こんな曲も聴きたくなってきました。
この曲も当コーナー再登場で、昨年前回とは別の動画をお借りしました。

「ラフター・イン・ザ・レイン(邦題:雨に微笑みを)」、ニール・セダカ
" Laughter in the Rain " / Neil Sedaka (1974)


私たちウェットな気質の日本人には真似の出来ない明るさが、羨ましい限りです。
( 余談ですが、 歌謡曲では珍しい明るさの橋幸夫の「雨の中の二人」も名曲です。)


(後日追記:訳詞付きのライブ動画が見つかりましたので、追加しました。)
こちらも併せて、お楽しみください。

" Laughter in the Rain " , Live Performance / Neil Sedaka 
 


大の音楽(やカバー曲)好きな筆者、今回も計5曲(のち1動画追加)をyoutube上から お借りしてきました。
もっと紹介したい動画あれど、ブロックが施されていたりで多少不満ですが、このシステムや投稿者の方々に感謝です。

ともすれば憂鬱になりがちな梅雨のこの季節、薄暗い「雨情緒」を能動的に楽しみましょう。
このコーナーがささやかながら、その一部となれたのなら幸いです。

* * *

「筆者あとがき」

この梅雨開けのような晴天続きの日、多少は雨の日が恋しくなってきました。
でもここ数日の晴れの日は、アトリエ周辺では風も良く吹いてくれ、昔日の夏を彷彿とさせてくれて、筆者には快感です。

ここしばらくハマっていたテナー・サックス演奏熱もそろそろ落ち着き、収束し始めました。
現実逃避の代償行動もこの位にして、まだ道半ばの絵画制作を再開させなくてはなりません。
「時は人を待たず」、人は時を(自由に充分には)持てず、です。
多忙の夏休みも目前に迫っています。方向転換を図らねば・・・。

By T講師

2017年7月3日月曜日

ウィークリー・ダイアリー(その13)

「ウィ―クリー・ダイアリー(その13)」

梅雨真っ最中。この季節ならではのうっとおしい日々が続いています.
そんな中、筆者の沖縄三線(サンシン)が湿り気で蘇り、余韻豊かな良い音を響かせてくれるのが嬉しい日々です。

さて、ウィ―クリー(1週間)の看板に偽りありですが、久々のダイアリーをアップしました。

* * *

「学童美術教室(その1):Hmちゃんの学童クラブ卒業記念」

Hmちゃん(小1)、6月いっぱいで学童クラブを卒業することになりました。
1年生とは言え、姉のIrちゃん(小6、今年3月に卒業)のお迎えで、年中さんの頃からのお馴染みでした。

学童の最後にママやパパへ「訳ありプレゼント」をあげた~いと言って、ユリの花や青い鳥を描きました。

 

1階アトリエにて、筆者が直接指導。ごらんのような見事な水彩画が誕生しました。

姉のIrちゃんが一足先に描いた(昨年)ユリの花と、木彫で作った青い鳥(今年)、今度はHmちゃん判で完成、
両親へと贈られることになりました。8月には姉となるHmちゃん、Irちゃん同様の良いお姉ちゃんになってね。

そんなHmちゃんから手紙をいただきました。開けてみると、そこには花一輪と青い花の絵がありました。
どうも、ありがとう。
来年は姉のIrちゃんも中学生。Hmちゃんもまたきっと良いお姉ちゃん振りを発揮していることでしょう。

 * * *

「学童美術教室(その2)」

いつもは友達遊びで忙しい二人(共に小2)が、久々描画を始めました。
  
SanちゃんとSenちゃん、描画に集中。

Micちゃん(小2)も刺激され、久々参戦。

仲良く並んで描写・完成した「シマリス君」2匹。同モチーフ、それぞれの個性が出ました。
子どもならではの無作為の可愛らしさが加味され、微笑ましい水彩画の誕生となりました。

こちらはMicちゃんの「イイズナ(イタチの仲間)」も、素晴らしい出来となりました。
図鑑の複雑な形が描けない際は、筆者が別紙に線描。すると、みんなその形が把握可能に。
絵具も溶き方・混ぜ方を伝授。そんな行為が繰り返され蓄積し、ある日、自力開眼します。
その日が訪れるには、観察と描画を繰り返し、手の中の筋肉と神経を育て、目の見る力を育てることが肝要です。

* * *

「学童美術教室(その3):傑作誕生!」

昨年のこと、
アトリエ生徒で現在 学童クラブ・スタッフでもあるYYさんに触発されて「鳳凰」を描き出したH/Rnちゃん(小3)、
その後もこの大作を断念せずに散発的に描画、今回 妹の誕生日プレゼントを機に、越年の完成を目指しました。

そのH/Rinちゃん、2階アトリエ(兼・学童室)では気が散ると、1階のアトリエで日々、描画に専念しました。

左:H/Rinちゃんが学校・図工で製作した作品、素晴らしい出来です。
右:制作再開・初日の様子。背景下部には雲を描きたいと、その構図取り。
筆者はYYさんの「鳳凰図」同様の夜空へアレンジすることを勧めました。

描画に集中するH/Rinちゃん。足の恰好が面白くて、その様子をパチリ。

 「 鳳凰図、ついに完成!」

どうです、この迫力と凄味。もう言葉の羅列は要りません。
天上界から地上へと降臨する鳳凰の姿、その神々しい姿が秀逸です。
H/Rinちゃんの強力な創作意欲とその集中力・持続力、特筆すべき能力です。
半年以上もかかった超力作・傑作の完成・誕生。
おめでとう。
妹のCnちゃん(小1)が姉の気持ちに加え、その魅力を充分に理解して、ずっと大事にしてくれると良いですね。
 
* * *

「デイリー・スナップ・スケッチ」

学校の図工で作ってきた学童(小1~2)の「象さん」や「リス」、嬉しそうに見せてくれたので、パチリ。


象さんは左右で色違い塗り分けで、楽しみも2倍。リスさんはピカチュウ風で、可愛い声も聞こえてきそうです。

ギター練習や描画に、淡々と頑張るAyちゃん(小4)。
描画中のワンちゃんは、来週もその続きをやる予定です。

学童クラブでの最後のドラミングを楽しむHmちゃん。
また来てね。

* * *

「学童バンド、新局面」

メンバー全員集まらず、練習に支障気味の学童バンド、何故か同時に2組も。
でも今月末に開催予定の「新入生歓迎会」は、いつまでも待ってはくれません。
そんな練習状態では新曲習得も無理で、急遽 カラオケ・バックに歌だけで演し物を増やすことになりました。


その「歓迎会」の新レパートリーを増やすためのミーティングを開催した「おてんば組(失礼)」の面々。
歌の選曲もバンドの名前も正式に決まり、新入生歓迎会でめでたく披露される運びとなりました。

「チホチホ・バンド(こちらも仮称)」も、レパートリーを増やすための歌物の選曲に入りました。
ところが、その演目希望の曲が「おてんば組」とバッティング。同じ歌は絶対認めないと大揉めに。
片や後述バンドの「別に被ってもいいじゃん」は反対され、後日、筆者が裁定を下すことになりました。
一刻も早く方針を決めなくては、どちらも練習に取りかかれず、貴重な時間が無駄になってしまいます。
取りあえず、バッティングしない曲だけを先行して練習するように提案しましたが、バンド活動に揉め事は付き物ですが・・・。
いやはや何ともはや・・・。

* * *

諸所用に追われ、ブログ・アップままならずの昨今・・・。
頑張ります。

By 講師T

咲く花散る花、いつも何度でも

月曜日・曇り

筆者、前回の特集の内容や情緒を、少なからず今も引きずって日々を過ごしています。
今回の当コーナーも、前回の「沖縄慰霊の日」特集の番外編と言えるかも知れません。
今回は「咲く花、散る花」を人生やその命の象徴としての「見立て」で取り上げました。
それは、
数多(あまた)の戦争犠牲者に想いをはせる上でも関連性のある我が国の伝統的死生観が反映されていると思います。
戦前の軍国教育に於いても象徴的に桜の散り方を潔しとし、国家への個人の犠牲的忠誠を鼓舞した史実もありますが。
だとしても、
典型的ステレオタイプなようで少々気が引けますが、筆者の視覚的情報把握の際の根源にそれは頭をもたげてきます。

「デイリー・ギャラリー(その63)」

「 森羅万象 ギヤラリー(その18)」

「咲く花、散る花」

「咲いた睡蓮と、散った夾竹桃の花」

筆者自宅庭の池で撮ったただの一輪の睡蓮ですが、上記のような価値感が筆者の中で自動的に湧き上がります。
美しく生命力に満ち溢れ、輝いている張りのある睡蓮の傍らでは、満開後に散った夾竹桃の花が朽ちてゆきます。
その唯一回限りの生命活動の環に終止符が打たれる瞬間に、他人事ならぬ感情移入をしてしまう今日この頃です。
知人・家人・縁者たちの死や、自身にやがて来たる行く末が暗示されているように見てしまう歳になった証しです。

左:自宅庭の桃色の夾竹桃。            右:アトリエの白い夾竹桃。

花々は満を持して次から次へと満開、その後、美しさのピークで散り往く花びらたち。
命の儚さをつい投影させて見てしまいます。生命も季節も人生も、栄枯盛衰を繰り返して往きます。
与えられた寿命を全うするものは極く少数で例外であり、その前に果てるもの数多(あまた)です。
「戦世(いくさよ)」に散った人々が味わえ得なかった幸福の実感を噛みしめる薄仄かな季節です。
この幸せな時代に生まれ落ちた人生に感謝し、たった一度のそれを味わいたいと思う今日この頃です。

* * *

「ミュージック・ギャラリー(その239):鎮魂歌(その2)」

今回の当コーナー、前回の最後を飾った曲からの繋がりであり、その別バージョンをお借りしました。
ジブリ・アニメ「千と千尋」のテーマソング「いつも何度でも」の詞の世界に焦点を当ててみました。
昨今の巷に溢れるただセンチメンタルなだけの詞や曲ではなく、哲学的命題も提示して感じられます。
今回は残念にも、ご本家の木村弓バージョンがブロックされていて当コーナーでの紹介を断念しました。
その代わりと言えば語弊がありますが、もう一方の当事者である作詞家自身の歌声をお借りしてきました。

「いつも何度でも」、作曲:木村 弓、作詞・歌:覚(かく)和歌子
" Always with Me ( Itsumo-Nandodemo ) " From " Spirited Away "

世界的にもヒットしたジブリ・アニメ作品ご存じの名曲ですが、詞を書いたご本人の歌う歌。
淡々とした歌唱や流れゆく八ヶ岳周辺の森羅万象の景色、最後の青空と風音が良いですね。
作詞家は歌も歌うシンガー・ソングライターで、詞を依頼した木村弓さんとは同業者です。

作曲をした木村弓さんから依頼されて紡いだこの詞、ほんの十分程で出来上がったとのこと。
しかも作詞中に「自分が書いているのに、自分が書いていない感じ」の体験をしたとのこと。
名曲や傑作とは正にこう言うもので、多くの芸術家たちが等しく経験する「神からの啓示」かもしれません。


次も同曲のカバー判です。動画冒頭の仄かな灯火(ともしび)と、不動の青空が気に入りました。
もちろん淡々歌唱と洞窟の中で水滴が滴り落ちるような残響を伴った演奏(シーケンサー?)も。

「いつも何度でも(カバー)」、ひまわりコンチェルト(歌:Mako、演奏:Bamiko、)


こちらはyoutube上で見つけた同曲の異色判です。

「いつも何度でも(カバー判)」、フランスの教会聖歌隊
Voyage de Chihiro  / "LA MAITRISE BOREALE ", FRANCE, (2005)

フランス北東部リース近くのモンティ二―・アン・ゴエルと言う教会の聖歌隊の少年少女の歌う「いつも何度でも」です。
天使のような子どもらの透き通った歌声と、教会独特の高い天井の残響をうまく活かして溶け込むハーモニーが素敵です。
どのような経緯で日本語のまま歌われたのか不明ですが、幾度も反復練習しないと覚えられなかったことでしょう。
またその編曲、パッフェルベルのカノンやアルビノ―二のアダージョ等を彷彿させるような和声の進行が秀逸です。
まるで教会音楽のような、また別の命を欧州で吹き込まれた感じです。
最後に沸き起こるアンコールの拍手に自らもつい加わってしまいます。

* * *

「生と死の狭間で」

この曲、死に際しての魂の離脱を暗示しているかのようで、その辺りも筆者のお気に入りの理由の一つです。
今は亡き筆者の父が生前に似たような体験をしたそうで、シベリア抑留時に一度死亡を宣告されるも生還し、
その時の様子を時折語っていて、父の戦友たちもその不思議体験が事実だったことを証言していました。
いわゆる俗に言う「近似死体験」で、世界中の多くの人々がそのような体験の後、息を吹き返しており、
科学的・医学的な論証では説明のつかない事象があり、幻覚などでは片づけられない例があるとの事です。
詳しくは医学博士レイモンド・ムーディーや、ダニオン・ブリンクリーの臨死体験研究・著作が有名です。
父がその時、息を吹き返さずにそのまま他界していたなら、筆者はもちろんこの世に存在しなかった訳です。
そんな経験を経て現世へと戻った父、死ぬことは怖いことではないと悟ったと、生前に口にしていました。

いずれにせよ、この詞の提示する世界は単に文学的情緒のみならず、多元的な価値を考えさせる深い詞の世界です。
「死」を遠ざけるのが日常ですが、このような詞の世界でそれを意識させてくれることは有意義なことと思います。

三次元的大気の中に内包される、過去の記憶のような気配を感じさせる、この季節に相応しい言葉と音空間でした。

By T講師