2017年7月17日月曜日

アトリエ臨時休業日「海の日」

月曜日・晴れ・暑し
国民の休日「海の日」

アトリエ臨時休業日。3連休の最終日。
その3日間 続けてのブログ・アップにトライしてみました。
企てよりかなり遅れてしまいましたが、以下 楽しんでいただければ幸いです。

「デイリー・ギャラリー(その65)」

「海の日」特集

「海の日」にちなんで、筆者の故郷・沖縄の美しい海の写真をネット上からお借りしました。
画像出典元に撮影地等の詳細なく、筆者にもまた不明な場所多しですが、そんな事お構いなしに気持ち良くなりましょう。

筆者の故郷はその周囲を海に囲まれていおかげで、「海」とは大体いつでも親しい関係にありました。
そんな故郷・南島での「海」話しを少々、記してみます。

 本島北部の西海岸方面か、中部の東海岸か、はたまた先島諸島の石垣・西表島あたりかも知れません。
そのどちらにせよ、砂浜から沖合へと向かって徐々に深くなっていくのが手に取るように分かります。
島と島の間には潮流があって、干潮と満潮の間ではその流れが逆転することがあるので、要注意です。
中高生の頃には、写真に見えるような対岸の島辺りの距離なら、何も考えずに遠泳していたものです。
但し水深の深い外海は水温も急激に下がるので、環礁の境目辺りで身体を充分に慣らしてからでないと、
地元の若者方言(?)で「ガラシマガイ」と言う足先の痙攣などに襲われるので、くれぐれも要注意です。
砂浜に対して直角の珊瑚の岩棚間には引き潮の際の離岸流もあり、ボート遊びの際に戻るのに一苦労です。


 上写真も撮影地記述なしでしたが、ここはもう筆者にはチョー馴染みの深い海で、百名(ひゃくな)の新原(ミーバル)ビーチと断定。
小学3年生の頃より見慣れたサンゴ隆起岩の形ですぐに分かります。潮でえぐられた岩根には無数のコバルト・スズメが群れていました。
泳げない子には、大人達が1m程の深さまで抱いて連れてゆき、砂浜を背に放し、息と視界が確保可の「犬かき」を教えてくれたものです。
筆者もこの海で泳ぎを覚えたと言っても過言ではなく、潮の香りやおにぎりの海苔の匂いが鼻腔の奥で今すぐにでも漂い出してきそうです。


筆者 小学生の頃より、波打ち際で海に足を向け仰向けになって目を閉じ、波の満ち引きに身を任せるのが大好きでした。
耳元では波の泡(あぶく)や砂の音が寄せては返し、閉じた瞼の中には虹色の光彩が現れ、大いに至福を感じる時でした。
遠方のヘリの音が大きくなったり鈍くなったり、いつしか寝入ってしまい、身体が斜め横向きになっていたこともしばしば。


たっぷりと泳いだ後のその疲労で重くなった身体と瞼に、夕刻の景色と風がこれまた至福の第2頂点でした。
耳の中で風がゴロゴロ響き、潮水で洗われた瞳は充血し、洗い流せなかった海水が手足に塩の結晶を造り出し、
海からのもう一つのプレゼントである浜風が、筆者らの疲れ切った身体周りを心地良く吹き抜けてくれました。



中学生の頃から本格化したキャンプでは、夜の暗い海の潮騒が神秘的で、何か不思議な気持ちにさせられたものです。
高校時代には夜のビーチ・パーティー(故郷ではパーリ―とも)も本格化し、楽しい思い出も増えていきました。
但し飲酒しての水泳は絶対に禁物で、筆者も自由が利かぬ重い身体で、怖い経験をしたことが一度だけあります。

幸いにも「海」と親しめ、楽しい思い出をいっぱい作れたことは筆者の故郷時代の最も幸福な経験の一つです。
残念ながら「海」は筆者の中では過去の存在となってしまいましたが、心の中では今も目映く輝き続けています。
故郷の水清き「海」に大感謝。

* * *

「ミュージック・ギャラリー(その241)」
懐かしの「海歌」特集

そんな訳で今回の当コーナー、筆者チョー若かりし頃の海にまつわる懐メロを少しばかり集めてみました。
しかも筆者中学時代にのめり込み、足繁く通った市内・波の上海岸にあったボートハウスでの思い出の曲たちです。
ボートハウスは海岸から桟橋を介して突き出た海上の木造建屋で、沖合側にボート乗り場スロープがある構造です。
人気スポットながら、平日は地元の筆者ら中学生と仕事明けの米兵らの独壇場で、泳ぎやボート等を堪能しました。
そこの数軒のデッキには当時流行のジュークボックスが設置されていて、これらを聞きながら皆で踊ったものです。
以前にボートハウスのジュークボックス特集では、洋楽を取り上げましたので、今回は邦楽を中心にお届けします。

「白いサンゴ礁」、ザ・ズーニーブー(1969年)
イントロの涼やかなオルガンの調べに続くベース・ギターの隆起下降グリッサンド、
そして始まるボーカルの町田義人氏の端正な歌声、今聴いても新鮮な名曲ですね。


時代はもう少し遡ってグループ・サウンズ全盛の頃のヒット曲を続けてどうぞ。
筆者と同世代近辺の方々にとっては、懐かしさいっぱいのメドレーだと思います。

まずはこの曲、作曲家のすぎやま こういち氏が沖縄の琉球音階を基に作った人気No.1グループのデビュー2曲目です。

「シーサイド・バウンド」、ザ・タイガース(1967年)

ボートハウス上で、みんなで振り付けも真似て歌って踊りました。今でもゴーゴーやモンキー・ダンス、得意です。
但し、身体の大きな米兵たちが加わると、デッキが大きく揺れてレコードが針とびを起こすこともしばしばでした。


G.S.御三家(ブルー・コメッツ、タイガース・スパイダース)の一角を占めたユニークさではNo.1のグループのヒット曲を3曲続けます。

「真珠の涙~赤いドレスの女の子(メドレー)」、ザ・スパイダース(1968年)

「夕陽が泣いている」、ザ・スパイダース(1966年)
海辺に夕刻の気配が漂い出す頃、誰からともなくリクエストされ、ボートハウスの空気に哀愁を漂わせました。
ツイン・ボーカルの一人、マチャアキ(堺正章)の独特な歌唱法、南島の夕暮れ時にもとても似合っていました。


「海歌」どんどん行きましょう。こちらは歌謡曲の大ヒット曲で、レコード大賞も受賞した人気曲です。
ボートハウスでは平日が休みの成人男性や、試験休みで訪れた遠方の女子高校生達が選曲していました。
照れながらも制服姿でぎこちなく踊る女子高生ネーネー達の姿、今も眩しく脳内網膜で焼き付いています。

「天使の誘惑」、黛ジュン(1968年)

名曲揃いの黛ジュン、もう1曲行きます。
こちらに「海」は出てきませんが、ボートハウスに来ていた仕事明けの米兵たちに好んで選曲されていました。
彼らは那覇航空隊の所属だとの事で、自分たちをメカ―二「We're Mechanic.(整備士)」だと言っていました。
彼らはその後の夜の帳が降り始めた頃には、近くの歓楽街へと足を運ぶのが常で、
そこでの女性達との交流を楽しみにして、その序曲として選んでいたのかも・・・。
以前、当コーナーで紹介済みのロニー・フライ(Ronnie Fray)の名曲「波の上慕情(Road to Naminoue)」も、
そんな背景で作られたのだと容易に想像でき、筆者とも小~中学生の頃に何処かで遭遇しているかも知れません。

バックの哀愁を帯びたエレキ・サウンドと、黛ジュンの粘るような歌声が、黄昏時にピタリとハマッていました。

「霧の彼方に」、黛ジュン(1967年)

彼ら数人の米兵は良い加減に酔いが回ると、お互いを異性に見立て、チークダンス等を男同士で踊り出しました。
時には筆者らの仲間の一人がそんな彼らに捕まって、無理やり手や腰を掴まえられて、皆の笑いを誘っていました。

*

でも筆者ら中学生と米兵達との間にも共通の合図があり、それが下に登場するロマンチックなインスト曲の存在でした。
辺りに薄暗さが忍び寄る頃、幾分涼やかに感じられる潮風が吹き、両者の内の誰かが例外なく必ず選曲したものです。

「ブルー・スター」、ザ・ベンチャーズ(1966年)
" Blue Star " / The Ventures

この曲が始まり、そして終わる頃、米兵たちと筆者らは海に背を向け、お互いに別れを告げ、分かれるのでした。
筆者らは家路へと繋がる住宅街やバス停に、彼らは徒歩にてネオンの明るさ輝きが増し始めた歓楽街へと・・・。

そんな風に、南国南島の都会の海辺の1日が終わりを告げるのでした。
筆者らにとっては正に「天国」そのもの。
押し迫った受験勉強が身に入らぬ訳です。



「追記:ボートハウスのジューク・ボックス選曲:洋楽ベスト5」

以前のこのコーナーで紹介したジューク・ボックスの洋楽でのベスト5をついでに記しておきます。
時期や店によってもどんどん変わっていたので、筆者の独断的・個人的印象で選ばせてもらいました。
大体、こんな具合です。

「 ロックンロール・ミュージック 」他 / ザ・ビートルズ
「サティスファクション」/ ザ・ローリング・ストーンズ
「あなただけを」/ ジェファーソン・エアプレイン
「10番街の殺人 」/ ザ・ベンチャーズ
「朝日のあたる家」 / ジ・アニマルズ
「恋は水色」 / ポール・モーリア楽団

あれっ?6曲になってしまいましたね。でもこうして見てみると、どれも外せない名曲揃いですね。
「恋は水色」は米兵達からも支持されていて、当時、米国本国でもNo.1を獲得したことを後日 知り、
通常は外国曲を聴かない米国では「上を向いて歩こう(スキヤキ)」同様の異例のヒット曲だとの事。
波の上海岸のバートハウス内ジュークボックスは数台あり、店によってかなりの違いがありました。
今日はこの曲が聴きたいから、今日はここ、明日は向こう、と音楽行脚も積極的に行っていました。
大体の平均で邦楽が3割、G.S.物が3割、洋楽(映画音楽含む)が3割と言ったような割合でした。
1曲10セントで、25セント・コインだと3曲が選曲できたような記憶があります。
レコード盤がメカニカルに選ばれ、ターンテーブルに運ばれ、針が落とされると言った一連の動作、
今も記憶の網膜上に強烈に焼き付いていて、音が出た瞬間の爆発的音量も記憶の鼓膜を揺るがします。

今となって懐かしい筆者・中学生時代の脳天気でキリギリス的な若かりし頃の思い出です。
もう半世紀(!)も経ってしまった遠い過去の、未だ輝きと鮮やかさを失わない一断片です。
以上、「海」から多少脱線したような感ありですが、楽しんでいただけたのなら幸いです。

By 講師T

明日から小学校も短縮授業。
いよいよの夏休みが目前に。
空(から)梅雨のままの、梅雨明けも近し・・・。

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