「デイリー・ギャラリー(その56):春爛漫」
2週 遅れましたが、今回もまた春本番の様相をアップしました。
早咲きの桜も散り、里や野山では八重桜や山桜の出番を迎えました。
こちらは「葉桜」
下は、当ブログでもお馴染みの森の里沿道のケヤキ並木。明るく鮮やかな新緑が出現。
森の里3丁目・センター前 |
上古沢・森の里4丁目 |
森の里4丁目から5丁目を望む |
アトリエ背後の丘頂も新緑で賑やかになりました。
早咲きのツツジたちも咲き始めました。
連休ももうすぐです。
爽やかな風薫る季節を屋内外で存分に楽しみましょう。
* * *
「ミュージック・ギャラリー(その268):追悼特集」
人生の四季を全うし、先日、歌手ペギー葉山さんが亡くなりました。
昭和の歌謡曲の黄金時代に品位ある歌声を届けてくれた大歌手です。
筆者の小学生時代にも大好きだった魅力的なその歌声と旋律が忘れ難く、今回の特集となりました。
代表曲2曲がメドレーになった動画はその流行当時ではありませんが、懐かしい雰囲気をどうぞ。
ペギー葉山、「学生時代(1964年)」~「南国土佐を後にして「1958年」(生唄メドレー)
蔦のからまるチャペルで~云々と、「学生時代」は別世界のあることを筆者に強く意識させた歌です。
青山学院などのミッション系スクールのお嬢様たちの世界で、子供ながらも想像を膨らませたものです。
やはり筆者小学生の頃に読んだ横浜は山手が舞台の有島武郎の「一房の葡萄」に通ずるものを感じました。
歌詞にある大学ノートとインクの独特な匂い、筆者も懐かしく感じられるほど、ご無沙汰の情緒です。
「南国土佐~」はもうその独特なメロディーと理解不能な言葉がとにかく不思議で、とても好きでした。
特に、ハリマヤバシ、ボーサンカンザシ、イカンチヤ、オランクとか、意味不明な発音が神秘的でした。
後年になって高知の言葉や地名だと分かりましたが、その摩訶不思議情緒は今でも大好きな世界です。
原曲は中国大陸へ進駐していた高知出身者の部隊で自然発生し、後に補作されたものとのことです。
ペギーさん、また筆者の幼年時代に周囲に居た叔母たちに通じるふくよかさも子供心に魅力的でした。
ペギー葉山さんはクラシックを学んでジャズ歌手になった人で、進駐軍のキャンプでプロになったとの事。
当時の人気ビッグバンドの専属になったきっかけは、当コーナーで先日特集した故かまやつひろしさんの父君の紹介との事。
復帰前のオキナワで、有線ラジオから流れ出でるアメリカ音楽で音楽に目覚めた筆者の日本語音楽の方の原点です。
ペギー葉山(本名:小鷹狩 繁子)享年83歳、ご冥福をお祈りいたします。
*
「南国土佐を後にして」繋がりで、もう1曲紹介します。
「南国土佐~」のメロディーは、小学時代の筆者にとっては不思議さ満点の存在でした。
その双璧を飾るのが、次に紹介する(子供心にも感じた)アダルトさ満点のこの曲です。
この曲の詞もまた小学校低学年の筆者には理解し難く、それがまたこの曲を神秘的にもしていました。
今でこそ故郷沖縄出身の多くの歌手が全国的に大活躍していますが、その当時の草分け的存在でした。
その吐息がかったハスキーな声、時々混じる巻き舌、微妙に昇降するグライド音程が、とても魅力的です。
メロディーもさることながら、バックの編曲や演奏も不思議さ満点で、マンドリンやコーラスが玄妙です。
遠くに去りつつある昭和の時を超え、半世紀を経て、今ここに蘇ってもらいましょう。
仲宗根(なかそね)美樹(みき)、「川は流れる(歌詞付き)」(1961年)
物憂げで気だるい雰囲気が秀逸です。こんなにもしっとりした日本語の歌、今ではもう希少かもしれません。
マイナーな曲調、アメリカン・ポップスには感じられなかった独特の濡れた情緒が子供心にも突き刺さりました。
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2週分と言うこともあって、
「ミュージック・ギャラリー(その269)第2弾:同時代のアメリカン・ポップス」
をお届けします。
以前から記しているように筆者の音楽の原点はアメリカン・ポップスで、幼稚園の前後にその楽しさに目覚めました。
真空管ラジオから終日に渡って流れるグレン・ミラー楽団の「アメリカン・パトロール」あたりからハマりました。
ナット・キング・コール、ルイ・アームストロング、ハリー・ベラフォンテ、ドリス・デイ等も良く流れていました。
米軍施政下・軍事優先時代にやっと民間放送が何とか許可され、日本語のラジオやテレビ放送も開始されました。
そんな時勢の中で上のペギー葉山や仲宗根美樹などを知り、歌謡曲の魅力にも遅ればせながらハマッてゆきました。
そんな当時、KSBKと言う米軍向け英語放送ではこんな女性コーラス・グループの曲が頻繁に流れていました。
近所に住んでいた茶髪三つ編み・ソバカス顔の従姉妹のネーネーも、SP盤レコードで良く聴いていました。
そのネーネーの父親の国の歌、ネーネーは一体どんな気持ちで彼女たちの歌を聞いていたのでしょうか。
上3曲の世界とは一味も二味も違った正にポップス感溢れる懐かしの曲を「毒を食らわば皿まで」でどうぞ。
ロネッツ、「ビー・マイ・ベイビー(対訳付き)」(1963年)
そんな時勢の中で上のペギー葉山や仲宗根美樹などを知り、歌謡曲の魅力にも遅ればせながらハマッてゆきました。
そんな当時、KSBKと言う米軍向け英語放送ではこんな女性コーラス・グループの曲が頻繁に流れていました。
近所に住んでいた茶髪三つ編み・ソバカス顔の従姉妹のネーネーも、SP盤レコードで良く聴いていました。
そのネーネーの父親の国の歌、ネーネーは一体どんな気持ちで彼女たちの歌を聞いていたのでしょうか。
上3曲の世界とは一味も二味も違った正にポップス感溢れる懐かしの曲を「毒を食らわば皿まで」でどうぞ。
ロネッツ、「ビー・マイ・ベイビー(対訳付き)」(1963年)
The Ronettes, " Be My Baby "
生来のリズム好きな筆者にとっては、やはり魅力的な明るさや軽快さでした。
スィ-トでキュートな歌、髪形を含めたファッションやダンス、懐かしさが凝縮されています。
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では次の同時代アメリカン・ポップスの2曲目も、数々のカバー曲がある稀代の名曲です。
作曲家は当コーナーでもお馴染みの天才シンガー・ソングライターのキャロル・キングです。
本メロに時折 加わり重なるストリング隊のオブリガート・メロディーも大好きです。
軽快ながらも切ない歌詞が泣かせます。
ザ・シレルズ、「ウィル・ユー・スティール・ラブ・ミー・トゥモーロ―」(1964年)
The Shirelles, " Will You Still Love Me Tomorrow "
キャロル・キング、本当に素晴らしい曲たちを作ってくれます。
ご本人はもとより、ブリティッシュ・ロックのギタリスト、デイブ・メイソンのカバーも筆者の大お気に入りです。
こちらの動画の髪形もロネッツ同様、ヴォリューム満点です。
遠ざかる昭和、遠ざかりゆく20世紀、終わりがいずれやって来るとは言え、懐かしさと一抹の淋しさが万感に迫ります。
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「筆者あとがき寸感:終わり始まり」
フィギュア・スケートの浅田真央ちゃんが引退を発表。その記者会見がとてつもなく感動的でした。
真央ちゃんがいつしか真央さんになり、素晴らしい成人女性になっていました。
また若手だったはずの村上佳菜子選手も引退を表明、
先だっての世界国別対抗戦にてゲスト・スケーターとして登場、あの笑顔と涙で花道を飾りました。
遠くは太田由紀奈選手なども活躍を期待されながら、不運にも若く志半ばで引退してしまいました。
稀有な才能に恵まれながらもケガに泣かされ、開花せずに散っていた氷上の美しい花たち。
消えゆく音楽、去りゆく人々、終わりは万人に与えられた褒美の至福と考えることにします。
その生命から蒔かれた種子が、新たな命の息吹を育んでもくれます。
「終わりは、新たなる始まり」自然や人生の四季もまた一つの一環。
未来永劫へと連なり繋がる美しい連鎖の輪に祝福を・・・。
By T講師
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