2017年9月13日水曜日

ホッパー「ブルックリンの部屋」

「名作美術館(その222)」

今回の当コーナー、前回に引き続いてエドワード・ホッパーの作品を取り上げました。


エドワード・ホッパー、「ブルックリンの部屋」
Edward Hopper , " Room in Brooklyn " ,1932,
Oil on Canvas, 74 x 86cm, Museum of Fine Arts, Boston

20世紀初頭から中期頃のアメリカの都市や郊外の雰囲気を写実的かつ幻想的に伝える画家の作品です。
何気ない日常の一瞬間を捉えた室内画と言えばそれまでですが、何だか不思議な空気感を漂わせています。
但し一見写実的に見えますが、実は画家が造った虚構で、日光の方向やその影は実際に即してはいません。
にもかかわらず、この光景は極めてリアルで、絵画が絵画たる所以でもあり、平面芸術の有する妙味です。

それにしても不思議な構図です。画面を大胆に占めるのは3枚の大きなガラス窓。
その窓を境の手前側の室内と、雲一つない青い空と水平・眼下の建造物とが広がる外界。
主題のモチーフとその背景が明確に別れる伝統的構図とは一線を画す様な、極めて散漫な構図取りです。
見る者に背を向けた人物のせいもあって、鑑賞者の視線はあらゆる方向に流れ、飛ばされてしまいます。
白壁に対比された褐色の窓枠や幅木、差し込む光の矩形、幾何学的な明暗の調子で構成された住居空間、
画面隅で座する登場人物と見る者が対面するのは、4~5階建てと思われるレンガ造りの重厚な建造物、
その屋上に林立する煙突群と、水平方向の僅かな隙間の遠近法、建物に穿たれた窓は無愛想・無機質で、
その光景に対置するかのように置かれた窓辺の花々と無垢な花瓶、まるで時空が凍結しているようです。
しかも、視線を僅かに下方に落として見える婦人の後姿は、何故か虚ろで哀し気にさえ感じられます。
但し文学的感傷的抒情はなく、幾何学的な構図と明光が物質文明の20世紀を誇示しているかのようです。
3枚のロール式スクリーンが、古典絵画の法則にのっとった安定的三角を成して画面を引き締めながら、
正方形に近い画面全体を支配する雰囲気は、今世紀に通ずる正にコンテンポラリーな佇まいと温度です。

画家が当作品を描いた前世紀の30年代は、アメリカが大国として目覚めながらも、世界大恐慌を経験し、
その大波を被った大量の人々の辛苦の営みや経験を、怪物のような産業文明が呑み込んだ時代でもあり、
従来の文学的な個人的悲哀より更に膨大多種多様な悲哀が現実と日常に蔓延した人心の荒廃した時代で、
21世紀の今日へと連なり続く人間と文明、現実と理想、人と都会、個人と世間等々、現代の礎の時代で、
画面隅に座する後姿の婦人は、一体その時代のどの範疇に属し、何を見て、何を感じて、何を想ったのか、
またはこの瞬間に何を欲しているのか、前後が欠落した映画フィルムの1コマのように無量そのものです。

また遠く欧州で生まれた油絵と言う伝統的絵画に、新大陸の時空で新しい息吹が吹き込まれた瞬間でもあり、
新しい大国アメリカが自ら見い出した価値と感性とで、時代を歩き出した瞬間でもあるのかも知れません。
大陸の西端へとたどり着いたその新大国の人々は、やがてそこに新天地を創り、映画を創り始めたのです。
一大産業となった映画は豊かな資本を背景に、豊富な人材と技術力とで非文学的な人々を描き始めました。
新大陸の感性は極めて即物的で、その乾いた叙事的表現が視覚を重んじる映画空間の中に反映されたのです。
今回のこのホッパーの絵画作品はそんな映画のようでもあり、または映画の礎そのもののようにも見えます。

そんな感性の造り出した叙事的表現で、そのドラマを展開させてみると・・・
こちらを決して振り返ることのない後姿の婦人像、もう元に戻ることはできない過去そのもののようでも。
彼女のロッキング・チェアーを揺らすのは、別れた恋人への追想?それとも人待ちなのでしょうか・・・?
画家の仕掛けた「行間を読ませる手法」の、想像の泉が尽きることはありません。

* * *

「参考資料ー1:ブリックリンの古い街並み(建造物)」

上作品の背景・外界に描かれている建造物の参考になる画像をネット上にて検索しました。
大雑把な選定ですが、大体こんな感じの4~5階建てのレンガ造りの建物だと推量されます。
筆者は残念ながら未だ訪れたことはありませんが、若き高校生の頃よりそれなりに馴染みのある地区です。
文学では、筆者高校時代に大好きだったヘンリー・ミラーやノーマン・メイラーの出身地で、
音楽家では大作曲家のジョージ・ガーシュイン、キャロル・キング、ルー・リード等がいます。
またS&Gの歌や他の文学にも度々登場する居住区としての街で、いつの日か訪れたい土地です。

ニューヨークの中心地マンハッタン島の東南部に位置する区で、御覧のような古い建物も多数存在しています。

* * *

「参考資料ー2:画家ホッパーの細部の筆触」

当作品「ブルックリンの部屋」の画面中央部にある花瓶の細部の画像です。
細密描写ではありませんが、大らかな造形性で塗り込めた筆致が魅力的です。

上2点、部分拡大図。画面内クリックすると更に拡大され、画家のタッチ(筆触)が良く分かります。
比較的・粗目のキャンバスにメディウム(希釈材)少なめの割と固練りの絵具が、中厚塗りされています。
キャンバスへ向かう画家の息吹がそれらの筆致に固着されていて、描画の順番も分かり、興味深いです。

* * *

「ミュージック・ギャラリー(その287)」

今回の当コーナーは、ホッパーの上作品のBGMとして筆者の個人的見立てと好みで選んでみました。
大恐慌の時代と言えど、作品の室内は経済的に豊かそうで、甘いロマンスもまた生まれ出でそうです。
稀代の歌姫・ビリー・ホリデイが歌った名曲のインスト、上の画面時空に似合うかも知れません。

「ユー・ドント・ノー・ホワット・ラブ・イズ」/ヨーロピアン・ジャズ・トリオ
" You Don't Know What Love Is " / European Jazz Trio ( Holland )

ブルージーなフレ―ジング編曲で、リリカル過ぎず、饒舌過ぎず、端正な雰囲気の名演奏です。
秋の気配と共に、ジャズの音色やコーヒーの香りが馥郁として、いっそう魅力を増してきます。
里や野の周辺では赤い曼珠沙華も姿を現し始め、夕刻時の落日もすっかり早くなってきました。
今年が迎える新たな「秋」、今日もまた静かに深まってまいりました。
「早、年の瀬も近し」昨今の1年の速度の実感です。

By T講師

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