2017年9月4日月曜日

ホッパーの街はずれ道・二題

「名作美術館(その221)」

天候不順な今年の夏もどうやら終盤を迎え、季節の変わり目の今日この頃です。
今回のこのコーナー、そんな季節とは関係なく こんな作品を選んでみました。
この作品を描いた画家、当コーナー数度目の登場です。  

「ガス」、エドワード・ホッパー
" Gas " (1940), Edward Hopper

「都会の風景」、エドワード・ホッパー
" Urban Landscape " , Edward Hopper

20世紀初頭~中盤のアメリカ絵画を代表するエドワード・ホッパーは、筆者の大好きな画家の一人です。
ホッパーは何気ない日常の人物や街角等の光景をあたかもカメラのスナップ写真のように無造作に切り取り、
画家独特の不思議な空気感・雰囲気を付加し、それがその何の変哲のなかった日常を超えてしまうのです。
やはり筆者の大好きな20世紀アメリカの画家ワイエスは眼前の視覚のその細部まで鋭く描写したのに対し、
ホッパーは逆に事物の細部にはこだわらず、むしろ逆に淡泊とさえ呼べるような大らかさで筆と絵具を乗せ、
その細部の無さの隙間にこそ文学で言う所の行間を読ませ、舌足らず風なその行間が見る者の想像力を刺激し、
画家ホッパーの提示した絵画面と見る者の経験則がミックスされ、それぞれの想像絵物語が展開されるのです。

上の「ガス」は郊外(又は田舎)の小さなガソリン・スタンドを描いており、黄昏せまる本道も淋し気です。
車に代わってコヨーテでも現れそうですが、謹厳実直そうなサービスマン、これから夜勤なのでしょうか。
下は都会の風景ながら、街はずれのような少々さびれ・くたびれた街並みが、やはり哀愁を漂わせています。
人影皆無ながら、オーバーオール姿の労働者やキツキツ背広の紳士など、幻影の人々が現れてくるようです。
かくて、
画家のキャンバスは視覚世界を超え、見えざる世界の風の流れやそのざわめき、木材や鉄・油脂の匂い等、
見る者の五感に訴えて饒舌に行間を埋めつつ、ノスタルジーを携えて未来永劫に輝き続けることでしょう。

* * *

「ミュージック・ギャラリー(その287)」

今回の当コーナー、上述のホッパー作品「ガス」の中の給油所(給油機)繋がりで、お送りします。
ホッパー作品「ガス」、人も車ももう来ないのでは、と心配になってしまう寂寥感が漂っています。
下の音楽も同様で、人恋しくも疎外感に包まれたような絶望的な哀しみが漂い出でてくるようです。
アメリカ大陸でのみ生まれ出でたその寂寥無量な空気感、夏去りゆくこの季節にハマっているかも。
元唄は1930年代の古い黒人ブルースで、ボトルネック・スライド・ギターを駆使した不朽の名曲です。
( 筆者もその真似ごとらしきダークなスライド・プレイを時折 楽しんでいます。)

ライ・クーダー、「パリ・テキサス」
Ry Cooder, " Paris Texas " (1985)
Original music composed by Blind Willie Johnson (1930's)
" Dark was a night, Cold was a ground "

画家ホッパーと、音楽家ライ・クーダーの取り合わせは、以前にも当コーナーでも紹介しました。
ホッパーはニューヨークを中心とする東部ですが、こちらの音楽は米国中西部~南部が背景となっています。
今回の動画は、ドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースの映画の同名・挿入歌です。
当動画の3分あたりで上の作品「ガス」と同様の、筆者にとっては懐かしい給油機(チャージャー)が登場します。
この映画のサントラ・アルバム、筆者の愛聴盤の一つで、その中に沖縄音階を導入したインスト曲も入っています。
余談ですが、
筆者の育ったオキナワでも少年期には同様の給油機が使用されており、しかも給油所をカルテックスと呼んでました。
それはカリフォルニア・テキサス石油の造語で、その当時、筆者らは老若男女誰しもがそのように呼称していました。

ちなみに、これが復帰前・沖縄のカルテックス(給油所)の古い写真です。

本土復帰前、オキナワ時代の給油所「カルテックス」(60年代初頭)
建物の左右にその給油機(チャージャー)が設えられていて、その上に丸い電飾飾りがあります。
白色の円の中には大きな赤色の星が奢られ、カルテックスの英文字と共に浮き上がっていました。
上動画の3分20秒あたりに登場するテキサス石油社のマークと極めて酷似したデザインでした。
筆者が米国の資料で見つけたこのモノクロ写真、この曲もハマって、ブルージーな感じが良いですね。
沖縄音楽に造詣が深いライ・クーダー、「going back to Okinawa」と言う曲もあり、嬉しい限りです。


さてライ・クーダーの味わい深いアーシーな曲、もう1曲紹介します。
この曲は、トランプ大統領誕生で今話題のアメリカ~メキシコ国境間がモチーフとなっています。
筆者の大好きな曲の一つで、時折 生ギターを抱いて歌って一人悦に入っています。
下に、動画投稿者の手による日本語の訳詞がありましたので、併せて掲載しました。

ライ・クーダー、「アクロス・ザ・ボーダーライン」
Ry Cooder , " Across the border line " (1987)

( 以下、日本語訳詞 )
話しに聞いたんだ 道がすべて金で舗装されてる街があるって 国境を越えたすぐの所に 自分の順番が来たら覚えておきな 望みよりはるかに多くを失ってしまうことだってあると 滅びた約束の地に着くと 夢のすべてが指のすき間からこぼれおちる その時になって気を変えても遠すぎることに気づくのさ ここまでやってくる代価は払ってしまったのだから それでもまだ国境を越えたばかりなのさ リオ・グランデをのぼりおり、砂の上には幾千もの足あと 誰にもはっきりしない謎を追いながら河は息づくように流れていく 我々の死と生とのはざまを教えてくれ 次に国境を渡るのは誰だ
(一部歌詞、スペイン語) 誇りがなくなっても希望は残る それが国境のむこうから呼びかけておまえを動かし続ける 滅びた約束の地に着くと 夢のすべてが指のすき間からこぼれおちる その時になって気を変えても遠すぎることに気づくのさ ここまでやってくる代価は払ってしまったのだから それでもまだ国境を越えたばかりなのさ

「アクロス・ザ・ボーダーライン」、ライ・クーダー

「夢の大国、移民の大国アメリカ」の栄光のその光へと、「蛾」のように吸い寄せられ集まる多くの人々の群れ。
歌詞の中に出てくるRiver(川)は、どうやら夢と希望を託して越境する大量の人々の流入を指しているようです。
ライ・クーダーの音楽には、そんな人々の持つ文化が色濃く反映されていて、味わい深いミクスチャーが快感です。

* * *

話は(個人的なことに)それてしまいますが、
世界の各地にて「排他的ナショナリズム」が台頭してきた時代となりましたが、この先どうなっていくのでしょうか。
筆者にもまた他人事ではなく、南小島に日々 押し寄せる非民主大国のお金と野望で翻弄される故郷の行く末が心配です。
多くの辛酸をなめてきた故郷の島が、恒久平和な「自由」と「民主主義」に抱かれ続けていることを切に願っています。

By T講師

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