2017年12月15日金曜日

高校クラス会 旅行 In 神奈川

「ウィークリー・ダイアリー(その22)」

「デイリー・ギャラリー(その69):一泊旅行写真」


今回は、筆者の2日間に渡るごく私的な小旅行時の写真をアップしました。

去る先月11月末の連休を利用して、筆者高校時代3年次のクラス会 旅行が催されました。
故郷・沖縄より9名の友人たちが来訪。神奈川でのクラス会は2度目(前回は12~3年前)です。
前回来訪の女性3名組には不幸等もあり今回は不参加。代わりに初顔の友人たちがやってきました。


筆者自宅にてくつろぐ級友たち(背後のキャビネットには自ら送ってきた泡盛各種。準備万端。)


来訪早々、筆者自宅にてくつろぐ元クラスメートたち。昨年の帰郷時以来の再会の面々です。
友人たちとは言え、同時に筆者にとって大切な恩人たちでもあり、感慨深いものがあります。
( 筆者・高校生当時のその理由の簡略な経緯を後述します。興味のある方はお読み下さい。)
彼らの前回来訪時、筆者は沈没中の版画工房にて、そして今回は学童クラブにて迎えました。
心身共に健やかな日々を重ねられるのも、彼らとの出会い・温情があったからこそなのです。
何はともあれ、
筆者は故郷からの遠来の友人たちを迎え、この時空を共に神奈川の地で過ごすことが出来ました。




「富士・箱根1泊旅行へ出発」



「その前に腹ごしらえ。学童クラブにての朝食。」
左奥は配膳に精出す妻のM講師。

いつもは学童たちで賑わうホールも、今朝は初老となったクラスメートたちの顔と声が錯綜しました。
「沖縄方言」が飛び交い不思議な光景ですが、感無量です。
筆者、帰郷時には島のオーラに抱かれた瞬間に別人格となってしまいますが、今回は現実での対応にて、
なかなか故郷判・別人格の方に移行できず、何だか半端で複雑な気分、アイデンティティーのままでした。

(*^-^*)(-_-;)


前日までは真冬並みと言う寒さでしたが、彼らが黒潮由来の南風も連れて来たようで温かな好天に恵まれました。
今回の旅行では、学童送迎車のキャラバン・コーチ・スーパーロングが大活躍しました。
ボディー左右に貼ってある学童クラブのマグネット・ステッカーを取り外す筆者の様子を見た友人たち曰く、
今回は「学童クラブ」ならぬ「極道クラブ」か、はたまた「マイルストン老人クラブ」かと皆で笑い合いました。
前日にはスタッドレス・タイヤに履き替え準備万端のキャラバン、むさい男たちを乗せ、一路東名高速を西進しました。

「山中湖」


 みんなの希望の「霊峰富士」の雄姿。今回は山梨側は山中湖畔にてその雄大な眺望を拝見。
南島暮らしの面々「凄いね~!」と「寒い・寒い!」を連発。氷が張った水溜りにさえ感激していました。

一同、山中湖畔で昼食。山梨名物の質・量たっぷりな熱々で美味な「ほうとう」で、冷えた身体を暖めました。

山中湖に遊ぶカモや白鳥たち。
カモは何種類もいてその姿形は美しく、筆者の絵心を刺激してくれました。

「忍野八海」


筆者も初訪問となる忍野八海(おしのはっかい)へ行きました。
富士山を源流としたその清い湧水は美しく、今まで見たことのない深い群青と青緑の透明世界でした。




その流れは「宝石」のように光り輝いていて、筆者の網膜に焼き付いたその色と質感は、いつか絵にしたいと思いました。

多くの外国人観光客の方々も訪れており、お土産の値札を見る限り、まるで外国のような趣でした。
湧水の周囲の民家も伝統的な趣で、上2カットは奇跡的に無人に近い状態の風景が撮影できました。

記念撮影に収まる同級生たち(左下が筆者)

「芦ノ湖・駒ヶ岳」


箱根から眺める富士山を見てもらいたくて、富士山を離れて一路「箱根」へ 。
芦ノ湖畔のロープウェイで駒ヶ岳(元火山)頂上(標高1372m)へ登りました。

紅葉・落葉が繊細で美しい芦ノ湖畔。

駒ヶ岳・頂上にての記念撮影。写真では背景の富士山が明る過ぎて不鮮明( ;∀;)

箱根神社・本宮前での記念撮影。

頂上は気温1度(!)、横風の風速はまるで台風並み(おそらく秒速15~20m!)。
同級生4名は強力な寒さと強風に恐れおののき、ロープウェイ建物へと避難・退散。

無事にたどり着いた神社内で参拝するT君(実際は名前の呼び捨てです。筆者の大恩人です)。

「雄大な霊峰富士の眺め」



ロープウェイ途中から眺める芦ノ湖畔

富士山の左側(北西)には冠雪した日本(南)アルプスの峰々も見えました。
我が国の文化・精神を代表する「霊峰富士」、いつ見ても感動してしまいます。

* * *

「箱根小涌園」


筆者一行、来年早々には閉館となる小涌園にて一泊しました。
前回(神奈川)クラス会の「ユネッサン(系列)」をはじめ、色々お世話になりました。



庭の紅葉が朝の光で美しかったです。
朝食バイキングへと向かう館内からの光景が絶品でしたが、残念にも筆者カメラ不所持。
網膜奥の脳内・印象記録室に深く焼き付けるしかありませんでしたが、いつの日にか絵にしたいです。

小涌園ロビーにて記念撮影。

ナビ不調で目的地パス&スルーも幾つかありましたが、好天にも恵まれ小旅行・行程を無事に全うできました。
車内・館内・観光各地で聞く、とぼけた同級生たちのお国言葉の空気感とのギャップが面白かった小旅行でした。
キャラバン車内でもとぼけた軽妙な会話が行きかい、初冬とは思えないほんわかとした空気が生じていました。
またの機会(第3回目)を約束して友人たちを見送りましたが、晩秋・初冬の富士・箱根を楽しめたようです。
今度の再会は筆者が帰郷して、運転等に気患いすることなく、お酒の席を充分に楽しみたいと思っています。
「ドゥシヌチャーョ~、アンシェ―・マタヤ~サイ!( Then, See you again ! My friends )」

* * *


以下は筆者の昔話です。ご興味のある方はお読みください。
手前ミソながら、良い話しだと思います。

「落ちこぼれ・壊れかけ高校生、卒業顛末記」


「夜の街にて出会った級友たち」

実は筆者、訳あって高3の1学期に学校をドロップアウト、朝夕逆転の登校拒否の日々に。
中学時代以来熱中してきたバンド活動も停止、それまでの全てを御破算にするつもりでした。
そんな人生最悪の時に、筆者の心身の危機的状況の救出に尽力してくれたのが彼らなのです。
単なるクラスメートでしかなかったT君、頼まれもしないのに情熱的なお節介を筆者に敢行。
下校後、筆者の自宅を訪れては、夜の街への誘い出しを説得。その執拗さたるや強力でした。
「難儀!」「風呂も入ってない!」筆者の拒否にめげることなく、シャワーも身支度も手伝い、
筆者をバイクに乗せ繁華街のとあるパブへ。店内には口も利いたこともないクラスメート達。
「久し振り~」「元気ねえ~?」「とにかく乾杯、飲もう~!」筆者を懸命に歓迎する級友達。
T君の勧誘で、いつしか学校の教室ではなく、夜のパブでだけ時々出会うようになった級友達。
そんな日々が重ねられ、離島でのキャンプやビーチ・パーティー等にも誘われ、時折参加も。
そしてその内、単に誘われるだけではなく、その度に食料や蒔の調達、設営なども手伝い、
2学期には体育祭や文化祭の手伝いにも勧誘され、放課後だけの不思議な学校生活が始まり、
「組体操本番時の撮影係がいない訳」「絵が得意さあ~!仮装行列の大道具作り手伝って~。」
そんな気の良い級友たちに囲まれ、筆者いつしかほだされ、学校へと復帰することが出来ました。

「卒業追試」

とは言え、学業の方は負い目を背負ったままで、3年間、不得手な学科をサボっていた筆者、
単位を落とした科目が4科目もあり、数Ⅰ・数ⅡB・化学・物理と理数系が全滅状態でした。
卒業するにはその科目全てを追試で合格しなければならず、今度はその危機に向かいました。
そこでもまた級友たちが言語を絶するほどの献身的協力で筆者に救いの手を差し伸ばしました。
T君や親父的存在のS君を中心に、理数系科目の得意な友人たちが勉強を教えてくれました。
彼ら、他の授業の際に筆者と共に席を後ろに移り、追試科目を6時間も教えてくれ、放課後も。
そして追試の追い込み2日前からは筆者の自宅に泊まり込んで、徹夜で公式の応用問題を教え、
いよいよ放課後の追試の日がやって来ました。
当日も朝から後の席で教えてくれ、4時間目にはついにS君ダウンして保健室へと運ばれました。
筆者、追試に臨み、試験問題を解いていました。その時に窓に小石が当たり、外の階下を見ると、
そこには保健室から出てきた青白い顔のS君が立っていて、大きな丸を両腕で描いてくれました。
彼らの温情・協力のお蔭もあって必死で公式を覚えた筆者、無事合格点に達することを祈りました。

そんな追試(筆者4教科)のテストの最中に、級友N君にまつわるエピソードがもう一つあります。
化学の追試中の事。そのテスト用紙はたったの1枚で、上7分に10個ほどの設問があり、下3分が回答欄でした。
筆者は解る設問を先行して記入し、その他の設問を解いている最中での出来事でした。
同じく追試(別教科)を受けていた筆者の前座席のN君、おもむろに振り返って筆者の用紙を取り上げました。
その気配に気づいたお目付け役の先生、読んでいた新聞を置き、筆者とN君の間にやって来て黙って立ちました。
筆者の机上にはもちろんテスト用紙はなく、筆者懸命に机いっぱいに覆い被さり、用紙が無いことを隠しました。
先生のズボンが筆者の視野の右脇にしばらくの間あり、その後何事もなかったかのように背を向けました。
その隙をついてN君、急いで2枚重ねにしていたテスト用紙を筆者の机に戻すも、用紙を見て驚きました。
何とそこには書体も濃さも大きさも明らかに違う数字が空欄だったカッコからはみ出し踊っていたのです。
「ヤバい!」明らかにバレてしまう!筆者は急いでその数字を消しゴムで消し始めましたが、そこで終了。
後方座席の生徒が立ち上がってテスト用紙を前へと順番に回収し始めて、追試は終わってしまったのです。
「大変だ!」折角S君たちが頑張って教えてくれたのに、不正と言うことで不合格になるかもしれません。
N君の友情は有り難たかったのですが、不正となれば元も子もなく、筆者実際内心では不満で不安でした。

追試より1週間程が経ち、その結果が公表される日も近いある日の事、筆者1人職員室へと呼ばれました。
「実は先日の追試の化学のことなんだが・・」担当の先生が筆者を見つめてこんな言葉から切り出しました。
「ああ、やっぱりバレた!不正となって不合格になってしまうのか!」筆者の心臓がその鼓動を早めました。
先生の机には筆者のテスト用紙が置いてあり、一瞬だけ垣間見たあの時のN君の数字が飛び込んできました。
「君の受けた追試験の回答欄の化学式の数字を調べてみたら、明らかに違いのある2人分の文字があったよ。」
「それに試験当日、担当していた係りのK先生からの報告も聞いたし・・・問題あるような感じだねえ~?」
「絶体絶命だッ!」筆者の脳裏には、尽力して保健室に運ばれたS君やT君たちの顔が浮かび上がりました。
「でも解答をよくよく調べてみると、君の名前と同じ鉛筆で書かれた答えだけでも及第点には達しているし、」
「君の解答欄に答えを書いてあげた友達も、別に点取りのためのカンニングしたわけじゃなさそうだし・・・」
「だし!?」筆者、食い入るように先生の目を見つめ、発せられるであろう次の言葉を生唾飲んで待ちました。
「ま、結果的に不正があったとは認められないので、今回の件は不問にしよう。おめでとう。化学は合格だよ。」
「ウヮ~、ありがとうございます!」筆者、心の中で万歳と小躍りのカチャーシーをして、大きく頷きました。
「君は良い友人たちに囲まれているようだね。追試前の授業中にも追試の勉強、皆から教わっていたそうだし。」
各教科の先生たちもまた筆者と級友たちの授業中の行動を、見て見ぬふりで許容していたことも判明しました。
「ああ、そうだ。ついでだから伝えておくけど、正式発表前ながら君の他の科目の試験も全部 合格だそうだよ。」
その結果に、筆者や級友たちが心底大喜びしたことは記すまでもありません。
ちなみに、
不合格者は10数名もいて、3学期に再追試を行い10名程を救済。最終的に数名が卒業延期や留年処分との事でした。
かくて、世捨て人志望の落ちこぼれ壊れかけ筆者、彼ら級友たちと共にめでたく高校を卒業する運びとなりました。

今は遠き昔の、筆者高校生時代の恥ずかしながらも同時に嬉しくて誇らしい実話です。



あれから40数年・・・、今こうしてあるのも彼らのおかげ・・・、
彼らと出会えたことに感謝し、彼らとの変わらぬ交流に喜び、彼らの健康と幸福を祈る今日の日々です。

(*^-^*)


* * *


オマケに以前紹介した動画を再びyoutubeからお借りしてきました。
勝手ながら、今回特集のエンディング・ミュージックといたしました。
若くして逝った級友や、昨年 黄泉の国へ旅立った級友も併せて追悼したいと思います。

BIGIN、「島人(しまんちゅ)ぬ宝~涙(なだ)そうそう」メドレー・ライブ

いつ何処で聞いても名曲は名曲ですねえ~。
懐深きビギンの正に名唱・名演の極みです。
また故郷の南島へ帰りたくなってしまいました。



「 筆者追記 」

今年5月にアップした当コーナー「沖縄祖国復帰特集」の後記で触れた高校時代の昔話を今回、記すことが出来ました。
筆者の汚点とも言える恥かしい過去でもありますが、同時に級友たちの熱い温情を知らしめるエピソードでもあります。
筆者にとって、この機会を利用してネット上に公開できたことは嬉しい限りで、誰かの目に留まることを期待します。
「人生、捨てたものじゃない。」
浅はかで無知蒙昧だった若き筆者は、彼らとの交流を通して身を以ってその実感を噛みしめることが出来ました。
今、筆者の人生も冬に差しかかろうとしていますが、彼らの温情・気概を他者に伝えることが出来たら本望です。
失われない「宝」はそれこそ日常に、周囲に、心の中に在るのです。
それこそが「御万人(うまんちゅ)の宝」でもあると思います。

By 講師T(当真 英樹 )

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