T講師:Teaコーナー
2021年6月13日日曜日
2020年10月8日木曜日
2020年、敬老の日によせて
2020年10月8日
当コーナー、超久々(およそ2年振り)の再開です。
アトリエ・ブログからの「緊急お引越し」です。
未編集にもかかわらずアップしたものの加筆が思うように進まず、その状態のまま恥晒しを続ける訳にもいかず、
そこで、筆者の当プライベート・コーナーに移動させることにしました。完筆した暁には戻すかもしれません。
この時点では、いわゆる「逃亡・幕引き」処置です。
「2020年、敬老の日」によせて
米軍統治下のオキナワ(県に非ず)で育った筆者の音楽初体験はアメリカン・ポップスでした。
「親子ラジオ」と家族で呼んでいた米国音楽100%の有線放送で音楽の持つ魅力を知りました。
ドリス・デイ、N・キング・コール、L・アームストロング等々、子供ながらに心が躍りました。
その後、民間のラジオ放送も始まり、そこで歌謡曲を初体験。歌詞の意味が解る嬉しさを知り、
しかし同時に多くの楽曲に共通する大人の色恋の暗さ(詞と曲調)にも違和感を覚えたものです。
「親子ラジオ」時代に大好きだったグレン・ミラー楽団のマーチ繋がりで軍艦マーチを知り、
恥ずかしながら告白すれば、小学校低学年で我が国の昔日の軍歌も聴くようにもなりました。
なので、初めて買ったレコードこそミッチ・ミラー楽団の「史上最大の作戦」のサントラで、
LPでは何と東京消防庁音楽隊による「軍歌集」で、打楽器や管楽器による迫力に熱中しました。
その延長線で「武器や兵器」や「(近代)戦争」そのものの歴史にも興味を持ち始めました。
大人向けの軍事雑誌も購入し始め、読めない漢字を辞書で調べつつ、難しい言葉も憶えました。
曰く「玉砕」「在りし日」「十字砲火」「徹甲弾」「弾幕」「屍(かばね)」等々、小学3~5年生の頃です。
今風で表現するところの超「オタク」の誕生です。
人類・国家がその究極の英知を絞った科学力で「殺戮」の研究・開発を進めていることも知りました。
地上のみならず、海上も海中も、空中・高空にまで「殺戮」を押し広げていることにも慄然としました。
そして、それらがこの小さな南島でも繰り広げられ、無数の人命や人生が絶たれたことも知りました。
確かなことに、筆者の生まれ育った地には戦場の残り香が漂っていて、その勝者たちも住んでいました。
「アメリカ―ター(達)は怖いさあ~。」「何でも持っていて、何でもするさ~!」近所の老婆の言葉です。
ツマミをひねったTVとラジオからは「歌謡曲」と「民謡」と「米国ポップス」が絶えず流れ出ていました。
小学6年生になった筆者は「戦争」と言う知識の対極に「音楽」を据え置き、その虜となっていきました。
「倍賞千恵子」「舟木一夫」「橋幸夫」等々、歌謡曲全盛期に出くわし、雑誌「平凡」「明星」も知り、
「ピーター、ポール&マリー」「ブラザース4」「ナンシー・シナトラ」を経て、米国ポップスにも回帰。
中学進学と同時に、それらが「一緒くたの大洪水」となって思春期始めの筆者に猛然と襲いかかりました。
特にタイムリーに流行りだしたのがエレキ・ギターを用いた国内外のいわゆる「ビート音楽」たちでした。
国内ではグループ・サウンズが登場、本家の英米では」「ビートルズ」や「ローリング・ストーンズ」らが頂点に。
国内は「ブルー・コメッツ」「スパイダース」「テンプターズ」「ジャガーズ」「ゴールデン・カップス」等々、
英米・上記以外では、「アニマルズ」「ウォーカー・ブラザーズ」「ションデルズ」「グラスルーツ」等々、
ちょうどシングル・レコード全盛の頃、中学生のささやかな小遣いなど、幾らあっても全然足りませんでした。
小学生の頃からエレキを弾いていた友人らとエレキ・バンドを組んでからは猶更のこと万年小遣い不足でした。
高校に進学後は国内外の音楽状況に変化が起こり始め、上記の数多のGSは衰退し、フォークが流行りだしました。
一方の英米では既成のポップ色が弱まり、アーチスティックで高度なテクニックのバンドが台頭し始めました。
「クリーム」「レッド・ツェッぺリン」「ドアーズ」「バニラ・ファッジ」「ジ三・ヘンドリックス」等々。
サイケデリックでダーティーな不健康サウンドが極東の南島にも押し寄せ、その一因のドラッグもまた・・・。
あれほどの栄華を誇っていた超大国の米国もベトナム戦争の泥沼にはまり、必死にもがき苦しんでいました。
小さな南島は彼らの重要な後方基地と化し、今では想像不可な程の米兵らが押し寄せ、島の夜は賑わいました。
本土からは基地存続の祖国復帰反対闘争で、数多くのゲバ学生らが来沖し、過激なデモを繰り広げていました。
ベトナムの戦場から一時帰還した荒れた米兵らによる犯罪も頻発し深刻化、小さな島は騒然としていました。
筆者もまたバンド活動に集中するあまりに、様々な混濁を呼び寄せ、自らの心身の健康を害していきました。
・・・
以上、ほぼ半世紀に渡る筆者の音楽遍歴を大雑把にかいつまんで記してみましたが、まだまだ続く予定です。
後ほど・・・。
2018年8月20日月曜日
お盆明け夏休みも「後半」へ
「夏空」大山・丹沢山系の一部(市内小野よりの眺望) |
「お知らせ」
2018年5月1日火曜日
GWの春歌(はるうた)特集
「ミュージック・ギャラリー(その303):GW・春歌特集」
60年代後半
そんな時代の空気感が凝縮されたアコースチック世界、今も筆者の脳裏でこの時期にこそやさしく響き渡ります。
( 動画、ブロック施されましたので、後日 再拝借しました。)
次の楽曲群もまた過去に紹介済みのものが含まれていますが、名曲です。
当時の映画のサントラとして大ヒットしました。
筆者にとっては「イージーライダー」等と並び、印象に残る映画でした。
以下、同映画からの4曲です。
音楽もさることながら、今見ても新鮮さを失わないシーンの数々がふんだんに登場。また見たくなりました。
母校の小学生たちをはじめ、地元の多くの皆さんの協力・笑顔が眩しくも微笑ましいPV動画です。
*
今となっては筆者の帰る場所ではないのかもしれませんが、筆者の故郷であり、また根幹そのものです。
ところで話は変わりますが、筆者の中学校の初同期会が、およそ半世紀を経て来月に催される予定です。
是非とも参加したいと切に願っていますが、果たして・・・?
* * *
薫風を副題とした「春歌特集」、お楽しみいただけたのなら幸いです。
(今年の熱過ぎる薫風に、複雑な心境の筆者でした。)
2018年1月31日水曜日
T講師のクラフト・ワーク(その25)
「T講師のクラフト・ワーク(その25)」
「ミニ・エレキ・ギターの改造・製作(後編)」
「仮組み立て」
「ブリッジの改造・改良」
「ボディーの塗装」
「ヘッド・デザインの変更」
しかし廉価が売りな中国製、ヘッドの小さいミニ・ギターゆえ、Epiphoneのロゴを縮小もせず、ぶった切りです。
筆者のは、金色・筆記体でMilestoneと即興・手書き、左側に余白が出来たのでスパンコール製の星を貼りました。
要するにゴマカシです。(*^-^*)
「本組み立て(配線アッセンブリ―)」
「ひとまず完成」
但し、全完成とは言えず、計画当初より予定していたピックアップ右側のピックガードの装着が実はまだなのです。
昨年末には購入済みのピックガード用のプラ板が製作中断中に行方不明となり、その加工・装着が出来ていません。
我ながら未整理アトリエのグチャグチャ乱雑状態に恥じ入ってしまいますが、発見次第すみやかに製作する予定です。
当ミニ・エレキ・ギター、ピックガード装着後の全完成の暁には、またその画像をあらためてアップするつもりです。
*
それに、
そんなに急ぐ必要もなくなってしまいました。新春3月に予定のバンド演奏会も残念ながら中止決定です。
そんな中、全完成のその後は一体 誰が気に入って演奏してくれるのでしょうか?(今は筆者・独占中)
学童演奏中の画像(音質さえ良ければ動画も)、いずれは当コーナーにてアップしたいのですが・・・
「熱しやすく、冷め易い」学童たち、もうその気・バンド熱を失ってしまったのでしょうか・・・?
「強制排除」「去る者は追わず」が筆者のポリシーとは言え、少々寂しさ・虚しさも感じてはいます。
さて果たして・・・?
By T講師
* * *
「ミュージック・ギャラリー(その302):国内MAD ムービー秀作編」
お楽しみいただければ幸いです。
いわゆるマッドとは「狂った」等の意味合いを表すのが普通ですが、
昨今のネット上では、既存の音楽や映画・映像等を第3者が自由に編集・再構成した動画等を指す言葉との事。
その音楽や映像作品の正式な著作権者ではないので、違法な場合もあるそうですが、それなりに興味深いです。
音楽の場合など、中には公式のMTV等よりも優れたものも数多く散見され、文化的な意義も感じられます。
特にyoutube等のネット配信動画等ではパブリック・ドメイン的要素も多く、秀作も多数存在しています。
ついでに言及しますが、
国内のJASRAC等の著作権者の権利保護を名目にした過剰な規制・取締りには、目に余る行為も存在しています。
また商業的受益者から徴収した版権料も実際の権利者への公正な分配が疑わしい不透明部分も存在しています。
とは言え、
今回はそんな複雑な問題はまたの機会にして、MADムービー作品の画像と音楽の合成の妙味をお届けします。
「非オフィシャルなので即削除」はやめてもらいたい、との声もコメント欄には多数寄せられているほどです。
音楽の方は両作品共にONE OK ROCK(ワン・オクロックと国内では読ませている)と言うバンドの楽曲です。
彼らを初めて聞いた時には、英語の歌・サウンド共に完成度高く欧米のグループかと勘違いしたほど秀逸です。
まずは映画の「永遠の0(ゼロ)」を映像として用いたMAD作品です。
2本目は、東日本大震災・当時のドキュメント映像が使用されています。
今回のMAD作品、製作者はko ARAと言う方で、何と製作3本目(下)と5作目(上)との事!
その音像合成世界、続けてどうぞ。
ONE OK ROCK、" Fight The Night "、映像:映画「永遠の0」より
両作品とも当動画に使用の映像に関しては色々な見方や意見等あって当然ですが、合成が見事だと思いました。
音楽と映像がシンクロして魅力が倍増し、強烈なインパクトを与え得る制作者の感性や技術の高さが凄いです。
2本目の動画では犠牲者や被災者の問題もあり、様々な意見もあるとは思いますが、映像作品として捉えました。
2作共に見る者の胸深く鋭くえぐられる作品となっていて、色々な事象に様々な想いが錯綜・積層していきます。
*
ONE OK ROCK と言うバンド、素晴らしい感性と技術です。が、欲を言えば生身の個性が見えてきません。
我が国の音楽業界もここまで来たか、と言う感慨もありますが、同時に漫然とした違和感も感じています。
それはまるで高性能の人工知能(AI)が編み出した隙のない秀才楽曲のように、筆者には聞こえてきます。
ナショナリティーもローカル性も個性や生い立ちも、その嗜好性や志向性も、筆者には見えてはきません。
その日本人離れした卓抜した歌唱や演奏、何でもありで、また何にもなさそで、掴みどころがありません。
緻密な企画会議やプロデュース&スタジオ・ワーク等の業界的な匂いだけで、生身の抒情が希薄なような。
筆者のナチュラルかつシンプルでアーシーな音楽的嗜好が、そう感じさせているとは思いますが、、、。
また、動画に登場の4名(うち楽器3名)のみでは、ライブでは到底このような演奏は再現が不可能です。
そのライブ動画でも、4名の他にバックの演奏者たちの姿もなく、案の定 打ち込み再生・半ライブでした。
「ロック」を自称するのなら、その生命線でもあるライブ演奏にこそ注力すべきだと感じてしまいました。
コンサートでの「打ち込み・再生」は、半分騙しライブみたいな気がして、筆者としては支持出来ません。
でも、彼らの動向や創り出す楽曲等には、今後注目してみたいと言う久々の興味は湧き上がってきました。
以上、
老いぼれとなった筆者の「辛口・上から目線」戯言でした。
平に ご容赦。
_(._.)_
By T講師
2018年1月22日月曜日
ウィークリー・ダイアリー(その25)
「ウィークリー・ダイアリー(その25):新春編」
( 相も変わらず「看板に偽り有り」でほぼマンスリーに近く、お恥ずかしい限りですが、)
新春の冬休みの期間中から、3学期開始早々までの3週間ほどを、まとめてアップしました。
* * *
「学童美術教室」
最終日直前、細部の描画・仕上げは、自宅で行うこととなりました。あともうひと踏ん張りです。頑張ってね。