2017年3月19日日曜日

デイリー・ギャラリー(その54):「水引」

日曜日・晴れ
3連休の中日

今週、恒例の「名作美術館」はお休みします。
以前にも言及しましたが、ここ最近 画質の良い作品画像に行き当たらず、少々 困惑気味です。
世に言う「名作」なる誰もが認める名作の画像は数あれど(例えば「モナリザ」等ですが)、
それらの紹介や論評は世界的にも膨大で、筆者のこのコーナーでは現時点では食指が動かず、
今回は、敢えてパスすることにしました。
超有名な名作絵画に関しては、またの機会に取り上げたいと思っています。
また平面作品だけではなく、彫刻や工芸品等も取り上げてゆくつもりです。



前置きが長くなってしまいました。

さて今回は、
当コーナーでは2回目となるデイリー・ギャラリーをアップすることにしました。

「デイリー・ギャラリー(その54):水引」

今回の特集の「水引「は、私たちの生活の節々に密着して欠かせない伝統的な飾り紐です。
結婚式や卒業・就職祝い、または引っ越し祝い等の慶事や祝儀、または逆の不祝儀に広く使われています。
ご祝儀(金銭)の封筒や贈答品の包み紙等にかける飾り物の総称で、実際の紐や印刷等が用いられています。
祝儀の際には、めでたさを象徴する紅白や金色、その逆の弔辞の際には白黒や銀色等でその意を表します。

「水引」の語源や由来は所説あり、遣隋使の貢ぎ物の記しや、中国・明からの輸入品の記し説など多数あり。
西洋文明におけるリボンやラッピングにも近い存在だとも言え、送る側の心を象徴する言葉の代用品です。
様々な形や色や素材があり、あわじ結びや蝶結びが代表的で、色も慶事の内容によって使い分けるとの事。
めでたい象徴の「鯛」や長寿の「鶴」等を模した飾りもあり、人々の生活や目を楽しませてくれています。

以下は慶事に使われる「水引」の一部を紹介します。






色々あって、楽しくも深い世界ですね。贈る側も、いただく側も、晴れやかな嬉しい気分が倍増です。
昔日から現代へと引き継がれる装飾職人たちの心意気や、その洗練された感性が微笑ましいですね。
無意識に引き継いできたこれらの伝統文化、これからも大切に愛でていきたいものです。


余談ですが、市内の地名にも「水引と言う場所がありますが、その由来は一体何なのでしょうか。
気になるところです。
余談ついでの余談・寄り道ですが、沖縄のうるま市(旧・具志川市)に昆布と言う住所があります。
昆布など取れない南国の沖縄、その住所地出身の知人にその由来を尋ねたところ、皆目 不明との事。
しかも筆者のその質問まで考えたこともないし、家族・住民たちで話し合ったことも一度も無いとの事。
いやはや、ラテン的・南国の故郷の人々らしいアッケカランとしたエピソードです。

生まれた時からそこに在る物や習慣、案外そんな風に無意識・無自覚もまま、受け継がれているのですね。

* * *

「ミュージック・ギャラリー(その265):春待ち歌」

今回のこのコーナー、「春待ち歌」としましたが、取り上げる曲は春とは無関係かも知れません。
これまでのように、筆者の脳裏で自動的にかかった曲で、最近の景色を見て浮かび上がりました。
根拠なしの独断は承知の上、ちょい懐かしのこんな曲をネット動画から2曲もお借りしてきました。
日本語の詞とメロディーがうまく溶け合った名曲・名唱・名アレンジだと思います。
では、2曲続けてどうぞ。

スピッツ、「ロビンソン」(1995年)

ボーカルの草野マサムネ君が向かうのが、筆者たも若き頃に憧れた米国シュア―社製の通称「ガイコツ・マイク」です。
アルミ削り出しのその外観がカッコ良く、中学時代にTVで見たグループ・サウンズの数々のバンドが使っていました。
そのレトロな雰囲気と高品質さが今でも若者たちに絶大な人気があり、アトリエ生徒のMSさんも所有しているとの事。
バンド名の「スピッツ」も、曲名の「ロビンソン」も不思議な命名です。その由来も面白いエピソードです。
いつ聞いても新鮮な説明の要らない名曲です。

こちらもまたスピッツを代表する楽曲の一つです。

スピッツ、「君が思い出になる前に」(1993年)

これまた説明など野暮な名曲ですね。
日本語の歌詞と旋律がブリティッシュ・ポップ・ロック・バンドのようなアンサンブルと見事に融合しています。
草野マサムネ君の使用ギターもジョン・レノンで有名なエピフォンのカジノのナチュラル仕様で良い感じです。
リード・ギターの三輪テツヤ君が持っているのは、コーラル社製の希少なエレクトリック・シタールです。
インドの多弦楽器シタールのような復弦風な音色を得るために、共鳴用の弦がボディーに設えられています。
オブリガートのその美しいメロディーと音色が、この楽曲の「影の主役」とでも言えるかも知れませんね。

PV動画で降ってくる柔らかそうな羽毛が、桜の花が散るようでもあり、暖かな雰囲気が春らしくもあります。

* * *

祝いの春はまた別れの季節で、若者たちの涙の季節でもあり、筆者も昔日に船で故郷を後にしました。
その当時は色とりどりのテープを桟橋と船上の人々の間で投げ合って、その別れを惜しんだものです。
その虹色に滲んで霞んだテープが束となり、風になびき、やがて引きちぎられて・・・。
その間の随分長くも感じられる離岸と、声も姿も小さくなってゆく見送りの人々・・・。
その黒い一群の中で家族や友の姿が人々の間に消え・・・。
デッキの上の無数のテープも、深く青い波にのまれ・・・。

その「春」も、今は遥か昔。
見送ってくれた友も今は亡く。
迎えられる「春」に祝福を。

By (センチな気分の)T講師

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