2017年8月15日火曜日

72年目の終戦記念日

金曜日・連日で終日の雨
「終戦記念日」
「お盆」

(ブログ・アップにかなりの時差があります。ご了承下さい。)


8月6日の広島原爆投下
8月9日の長崎原爆投下
そして今日の終戦記念日

悲しみの続く、憂鬱な季節の到来です。
先の大戦で、黄泉の国へと旅立った無数の人々の悲惨な死を悼むと共に、忘れてはならないのは、
共に地獄を味わい、その記憶に生者としての苦しみを持ち続けながら生きてこられた方々の持つ、
筆舌に尽くし難い悲しみ・痛み等にも想いを馳せ、この季節をやり過ごしたいと思っています。
そんな体験者も高齢を迎えて存命の方々も少なくなり、戦争の惨劇の記憶が薄れてゆく昨今です。
願わくば、戦世で先に逝った家族・友人たちとの、あの世での再会の喜びがあることを・・・。

もの言えば、唇寒し、安穏世。
想い多く重くもありて、今も黙して語らぬ、生き残り人。



「 名も知らぬ(語り部)オバーの思い出 」

筆者、故郷での幼年時代、そんな人々(主に近所のオバー達)から生の声を聞けた最後の世代かも知れません。
沖縄戦の体験者が筆者の子供時代には身近におり、時折、思い出したくもないと言う戦世の話をしてくれました。

曰く
「私は死に損なって、私だけ歳取ってしまったさ~。私が来るのをあの世で待ってるはずよ~」
「もう一生後悔してもしてもしきれんわけ。あの時、あんなにすれば、してあげとけば・・・」
「あんた達は幸せだね~。私も戦(いくさ)さえなければ家族皆で幸せに暮らしてたはずよ~」
「今でも夢に見て、夜中に目が覚めるわけさ~。そしたらもう寝られん。朝ご飯も食べられん」
「私の子どもたちがさ~、何処かで眠ってるかと思うともう何処を見ても掘りたくなってくる」

小学生の頃、筆者の友人がオヤツ欲しさに近所の留守宅のオバーたちを尋ね歩いていた頃の話の一部です。
母子家庭の彼にオヤツはなく、近所のオバーたちの茶飲み相手をして、黒砂糖等を分けて貰っていました。
中学に進級した頃、その友人とかつて尋ねたことのあるオバーの家の前には白黒の幕が張られていました。
そのオバーの遺影を持って並ぶ涙ぐむ女性が戸口の狭間に見え、初めて見るオバーの娘だと分かりました。
いつも小さな目を潤ませていたオバー、筆者らが来ると「アイ!孫が来た、孫が来た」と喜んでくれたオバー、
防衛隊に徴られて戦死したと言うご主人と二人の息子さんに、今頃、あの世で会えているのかもと思いました。



筆者、オヤツねらいの彼と共に数軒の一人留守のオバー宅を尋ね歩いたことがあり、色々な話を聞かせてもらいました。
その内、そんなエピソードの幾つかを、今は天国へと旅立ったオバーたちに代わって、記す機会があるかも知れません。
半世紀ほども前に旅立たれたオバーたちの70年以上も前の家族たちに対する悲しくも苦しくもある思慕深きお話です。

慰霊・鎮魂・合掌

* * *

「ミュージック・ギャラリー(その285):鎮魂歌」

今回の当コーナー、「安直なセンチ曲は要らぬ」とばかりに休もうかとも考えたのですが、この歌声で気が変わりました。
西洋の宗教音楽とは言え、天空より天上界へと誘うような澄み渡る音色が、魂に癒しを与えてくれるかのように感じました。

バッハ作曲、「G線上のアリア」、合唱:リベラ(英国)
Bach , " Air on G string / Libera ( English Boy soprano Units )

筆者・小学生時代、近所に住んでいた従姉のネーネーが、かの有名なウィーン少年合唱団の熱烈なファンでした。
何でこんな女みたいな声で歌うミニ水兵さん(全員セーラー服姿でした)たちが、良いんだろうと思ってました。
日頃はソプラノ嫌いな筆者ですが、この歌唱は例外で、天空へと頭が引っ張られるような感覚に襲われました。
「ボーイ・ソプラノ」、崇高・超俗にして恐るべし。



「西洋の宗教音楽」が我々の文化の鎮魂歌としていかがなものか?と言う疑問を持たれる方もいるのかも知れませんが、
現在我が国の葬祭場でのBGM、このバッハを始め、アルビノー二やパッフェルベル等、多くの曲が使用されています。
国境や宗教や時代を超えて美しく響く音楽に癒しを感じるとすれば、それが人々が感じる普遍的な魅力とも言えます。
幸いなことに戦後の我が国は平和な時代を享受してきました。そのおかげもあって個人の死が荘厳にも飾られるのです。
あの時代に訪れた何百万もの無辜の民の無残な大量死は、いかなる音楽でもっても葬送・鎮魂することは不可能です。
この季節、
人々が様々な芸術の中で暮らし、安らかに逝くことの出来る日常が永遠に続くことを祈る、そんな時節かも知れません。
( 支離滅裂・ご容赦 )

By T講師

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