2017年5月29日月曜日

沖縄スペシャル番外編

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沖縄スペシャル番外編

「デイリー・ギャラリー(その60):現代沖縄の児童画特集」

前回のデイリー・ギャラリー等にて、過去の祖国復帰前のオキナワの様子などを簡略ながらお届けしました。
今回はその番外編として、タイムマシンが戻って、21世紀・現在の沖縄の児童たちの絵画をご紹介します。
先般、催されたと言う「沖縄21世紀ビジョン児童生徒・絵画コンクール」より、入選作品の一部をご紹介。
公募のテーマは「未来」で、児童や生徒たちの素直な表現、ご覧ください。

左:「平和の大切さ」、花城 舞夏さん、金武(きん)中学1年。画面左右の対比、過去の歴史として終わると良いですよね。
 右:「ずっと長生きしてね」、奥間 舞音さん、金武中学1年。年寄りを大切にし、また孫たちとも身近な存在が良いですよね。

左:「おじぃと孫と三線」、伊芸 美優さん、金武中学1年。筆者中1で訪ねた久米島で同様な微笑ましい光景を見ました。
右:「イチャリバ・チョ―デー(出合えば兄弟)」、吉田 莉菜さん、南部商業高校3年。御仏壇が見守っているようです。

 左:「ウェルカムンチュになろう」、当真 七海、恩納村立恩納小3年。互いに懸命に交流を図っている様が良いですね。
  右:「Future(未来)」、萩原 綾音さん、八重瀬町立・東風平(こちんだ)中2年。国境を超えた繋がりに益々期待大。

筆者が個人的に気に入った作品を6点、紹介しました。
筆者の頃とは違う、しっかりとした明るい色面で画面を構成していく点に隔世の感があります。絵もまた世に連れ、ですね。
過去は過去として記憶と胸に留め、現在の正しく広い認識も深め、明るい未来へと繋がっていくことを祈るばかりです。
ネット時代の21世紀、国境・国家を超えた地球規模の交流に夢を託したいですね。

* * *

「ミュージック・ギャラリー(その234):オキナワ 親子ラジオの世界」

当コーナー、前回の続きとして、筆者幼年期(小学校入学前頃)の音楽を取り上げることにしました。
当コーナーでも度々記していますが、筆者の幼年期に音楽に目覚めさせてくれた親子ラジオの特集です。
軍政時代、故郷の民間放送は厳しく制限されていて、筆者自宅には有線・有料のラジオがありました。
それは居間の鴨居の上に設置された箱型スピーカーで、スイッチと音量を兼ねたツマミが一個ありました。
近所のお宅には無かったので、米国映画好きだった父の趣味で、我が家に設置されたものだとの事です。
筆者はミシン台用の丸椅子に立ち上がって、そのベークライト製の黒いツマミを度々ひねったものです。
スピーカーから流れ出てくる音楽は米国のポピュラー音楽のみで、筆者の大のお気に入りとなりました。

青空・白銀雲の朝、こんな元気なインスト(器楽)曲が流れ出て、筆者の気持ちを大いに抑揚させました。
この曲を聴くとまるで条件反射のように体が動き出し、寝ぼけた頭や気持ちも明るく元気になりました。

グレン・ミラー楽団、「アメリカン・パトロール」
Glenn Miller , " American Patrol "

* *

「その2:筆者幼児期のヘンテコ音楽たち」

さて、スイッチをひねられたスピーカーからは、音の洪水が切れ間なく溢れ出してきます。
DJやCM等無しに、それこそスイッチを切られるその瞬間まで何十曲も何百曲も流れ出でました。
言葉の解せない筆者にとって音だけが鑑賞の全てで、そんな中、幼い筆者を耳を惹きつけた曲がありました。
何と、聞き慣れたメロディーに、お馴染みのフレーズもちりばめられたヘンテコ極まりない最高の曲でした。
筆者上京後、友人になった本土の同世代の面々に尋ねても、その存在はまるで知られていませんでした。
そんな摩訶不思議曲、今の時代に鮮やかに蘇ってもらいましょう。

アーサ・キット、「ショージョ―ジ」(1955年)
Eartha Kitt , " Sho-jo-ji ( The Hungry Raccoon )
ドラ(ゴング)の音から始まる中国風なアレンジに乗せて、摩訶不思議な世界が展開される名(迷)曲です。
今聞いても、幼い筆者が飛びついたとしてもむべなるかな、と言ったような大ヘンテコ曲そのものです。

次も更に不思議な曲で、言葉の分からない曲の続く中で、これもやはり筆者の耳に飛び込んできました。

アーサー・キット、「カモン・ア(カモナ)・マイ・ハウス」(1956年)
Eartha Kitt ," C'Mon A  My House "
国内では故・江利チエミさんもカバーして歌っていましたが、この曲何ともエグ過ぎです。
このアーサー・キットさん、こんなヘンテコ音楽ばかりが専門なのか、次に紹介するのもその極みかも・・・。

普段は海外の曲など聞かないと言う米国でも流行ったようで、異国情緒まんまのトルコ流が筆者の心を鷲掴みに・・・。

アーサー・キット、「ウスカ(ク)ダラ」
Eartha Kitt , " Usuka Dara "
このアーサー・キットと言う歌手、他に「セ・シ・ボン」や大ロング・セラーの「サンタ・ベイビー」等も代表曲とのこと。
また女優でも活躍、映画監督の故・オーソン・ウェルズに「世界で最もエキサイティングな女性」と言わせしめたとの事。
この曲はそのユニークな旋律が幸いして、テレビでも色々な場面で使われているほぼポピュラーな曲でもあります。
ヘンテコ摩訶不思議、極まれり。


次に紹介する曲は、日本国内でも有名な全世界的ヒット曲です。
歌詞が「イテテ・イテテ(痛てて)」に聞こえ、数々のコメディーなどにも使用されていました。
筆者らももちろん例外ではなく、「痛て、痛て・・・」なんて、ふざけ喜んだものです。
ちなみに、
後年、大リーグで大活躍した野茂英雄選手の応援歌となり「ヒデオ・ヒデオ・・・」で新譜も・・・。
ハリー・ベラフォンテの曲は、他にも「マチルダ」や「ダニー・ボーイ」などもよく流れ出ていました。

ハリー・ベラフォンテ、「バナナボート・ソング」(1956年)
Harry Belafonte ," Banana Boat Song (Day-O)"
世界的に流行した「カリプソ」と言うジャンルの労働歌(ワークソング)で、訛り英語が魅力的です。


さて、次のヘンテコ曲、この曲もまた幼い筆者の耳を釘づけにし、上のバナナボート同様、不思議です。
全米1位のこのフォークソング、実在の人物を歌ったもので、恋人殺しの嫌疑で絞首刑になった悲劇が歌詞との事。
でもそんな内容などつゆ知らず、ヘビー・ローテーションで流れる度に、共に口ずさんでいました。
「ヘンダーユへッチャン・ドゥ~リ~、ヘンダーユへッチャンゴー、ポポンユパンスタン~」云々・・・。

キングストン・トリオ、「トム・ドゥーリー」(1958年)
Kingston Trio, " Tom Dooley "
子供の耳は不思議で、幼い筆者もよく空耳やヘンテコな語呂などを楽しんだものです。
でもそんな幼き頃の親子ラジオの音楽たちのせいか、中学では英語の先生から発音が良いと褒められていました。

半世紀程も経ったこれらの音楽、今聴いてもその編曲や演奏者も秀逸で、当時の一発録音の良さかも知れません。

* * 

そんな親子ラジオの世界にも夜の帳りが降り始め、陽気で元気な曲よりもしっとりとしたバラード等が登場します。
当時の筆者の自宅は丘の頂上近くにあって、暮れ往く遠くの海や空を眺めながらこんな曲もまた楽しみました。
先程のヘンテコ音楽たちも影を潜め、遠くへと去り、女性の甘い歌声が静かに流れ出し、眠気を誘いました。
テレビ放送も無かった頃の白熱電灯の仄暗さで聴くこのインスト曲、子供心にその魅力に惹かれていました。
真空管アンプの温かく柔らかい音質、今では忘れられた体温ある生声のような存在感が懐かしい響きです。

今回の特集「オキナワ親子ラジオの世界」最後を飾るのは、冒頭で登場したこの名楽団の名曲です。
動画には豪華な家具調・大型ラジオも登場、近所の叔母夫(米人)婦の家にも似たようなものが・・・。
後年になって鑑賞した映画、「グレン・ミラー物語」のシーンの動画と共にお楽しみください。

グレン・ミラー楽団、「ムーンライト・セレナーデ」(1939年)
Glenn Miller, " Moonlight Serenade "
街灯もまばらな当時、夜の闇が辺りを包むと頭上には満天の星々が出現、その中央には「天の川」も・・・。

親子ラジオ同様の真空管ラジオ、先だって帰郷した際にとある店頭で、久々にそのソフト&ウォ―ムな音に遭遇しました。
音楽もまた当時は電子的ダビング等の録音技術はなく、それが逆に音楽の質をいっそう高めていたような気がします。
筆者が小学校に上がる頃、我が家にも本物の多局ラジオが登場、いつしか鴨居上の親子ラジオが消えてしまいました。
と同時に日本語の歌謡曲等にも遭遇、筆者の洋楽漬けもレコードへと移行。中学のロック開眼まで洋楽ラジオの休眠期に・・・。



「光陰矢の如し」
前回のオキナワ特集から、筆者の頭と心はどうやら懐古モードで満ちているようです。
「古きを訪ねて新しきを知る」
筆者に残された人生時間も少なくなってきましたが、色々と進行形の問題ある故郷に想いを馳せつつ・・・。
今と未来を充分に楽しんでいきたいと思っています。

By T講師

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