2017年2月3日金曜日

ワイエスの「春遠からじ」

節分・金曜日・晴れ

当コーナーの詳細設定に手間取りました。
さて、新増設「T講師コーナー」の初特集です。

今年の冬は暖冬気味で、大寒後もうららかで温かな日が続いています。
今日は節分、春はもうすぐそこ。



「名作美術館(その210):節分特集」

今回もまたワイエス作品をお届けします。
20世紀アメリカを代表するリアリズム画家、その作風は統一性がありつつも、その描く世界は多彩です。
画家の暮らしたペンシルべニアの白い冬、そこに暮らす住人たちのつましい営み、その家屋・器具等・・・。 
風俗画と呼んでも支障のない身近な題材ながら、その視点は日常を描きながらも極めて非日常的です。

アンドリュー・ワイエス 「グラウンド・ホッグ・デー」
Andrew Wyeth , " Groundhog Day " (1959)

画題は北米の各地で行われる春の訪れを予言する行事で、地域の住人たちが多数集まるとの事。
ジリスのグラウンド・ホッグが2月2日に冬眠から目覚めると言われ、その行動で春の到来を知るとの事。
画家もまたその春訪れを待つ一人かも知れませんが、画面にそのジリスや人影はなく、ただ室内が。
窓の外に積雪は無く、食卓に祝いの証しの御馳走も無く、降り注ぐ明光のみが両者に描かれています。
その陽射しが織りなす光と影のコントラストこそが、春がそこまで訪れていることを暗示しているのかも。
春訪れに接する画家の気持ちもまたテーブル上に並べられた食器で表されているのかも知れません。
「春はまだ・・・。されど近し・・・。」
淡い恋心を素直に告白できない純朴な中学生のような恥じらいが感じられる作品のような気がします。



「考察:画家の作画について」

上述の文章でロマンチックな帰結を提示した後に、話しの腰を折るようで少々気が引けますが・・・。
上作品、実際の場所での写生ではなく、屋外・室内・食卓と、少なくとも3つのスケッチを元にしています。
と言うのも、その3か所での光の方向が同方角からのものではなく、異なる方向の光で構成されています。
屋外では右横方向から、室内壁面では右斜め上から、また食卓では拡散された光源方向のない光です。
画家はそれらを巧みにコラージュ(貼り付け配置)構成し、一つの画面に仕立て上げているのです。
絵画とはそう言うもので、写真的真実とは異なる画家独自の視覚世界を見る者に明示するのです。
但し、言いたいことを直接大声で叫ぶ画家と、婉曲に遠慮がちに暗示する画家の両者が存在します。
画家ワイエスは、もちろん後者の代表的典型でしょう。

* * *

「ミュージック・ギャラリー(その261):冬から春へ」

今日の節分、気温も穏やかな1日となり、早咲きの梅も里や野で開花、春の訪れを感じます。
そこで今回の当コーナー、そんな雰囲気の懐メロを取り上げました。
ワイエスの上作品とほぼ同年代で、筆者の勝手な想像力では共通の空気感が感じられました。
余韻溢れる空間豊かなオルガン、暖かなピアノの音色と典型的・後のりビートのゆったりとした調べ・・・。
画家の描いた壁紙の色模様、素朴な風合いの食器。温いお風呂のようで、緩みつつある空気を感じます。
筆者、何故か幼い頃に食した近所の米国人宅の朝食のオートミールとココアの香りと味を思い出しました。

ビル・パーセル、「思い出のウィンター・ラブ」
Bill Pursell , " Our Winter Love " (1963)
遥か昔の筆者・幼年時代、小学校入学前のこと・・・。
筆者の叔母が米国人の夫と共に近所で暮らしており、時々、日曜日の朝に尋ねては迷惑がられていました(-_-;)。
ワイエス作品の食卓や壁紙の感じが正にそうで、コーヒーやバタートーストの香り、夫君の太い声が蘇ります。
その叔母宅からいつぞや紛れ込んだファイヤーキングのカップ、昨年帰郷した折、我が家の食器棚の片隅に発見。
その不思議な質感と触感、半世紀も経た幼き日々が瞬時に鮮やかに蘇りました。
「冬訪れの筆者に、春遠からじ」

By (講師Tあらため今回より) T講師(へ統一します)

P.S. 近々、近況報告などを再度アップする予定です。
その際の、またのご来訪をお待ちしております。

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